・・・ といって、内職に配達をやっている書生とも思わしくない、純粋の労働者肌の男が……配達夫が、二、三人の子供を突き転ばすようにして人ごみの中に割りこんで来た。 彼はこれから気のつまるようないまいましい騒ぎがもちあがるんだと知った。あの男・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・り固まり、間がな隙がな、尺八を手にして、それを吹いてさえいれば欲も得もなく、朝早く日の昇らぬうちに裏の山に上がって、岩に腰をかけて暁の霧を浴びながら吹いていますと、私の尺八の音でもって朝霧が晴れ、私の転ばす音につれて日がだんだん昇るようにま・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・とやけに轆轤を転ばす、シュシュシュと鳴る間から火花がピチピチと出る。磨ぎ手は声を張り揚げて歌い出す。 切れぬはずだよ女の頸は恋の恨みで刃が折れる。シュシュシュと鳴る音のほかには聴えるものもない。カンテラの光りが風に煽られて磨ぎ手の・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 万斛の玉を転ばすような音をさせて流れている谷川に沿うて登る小道を、温泉宿の方から数人の人が登って来るらしい。 賑やかに話しながら近づいて来る。 小鳥が群がって囀るような声である。 皆子供に違ない。女の子に違ない。「早く・・・ 森鴎外 「杯」
出典:青空文庫