・・・ 突飛なるは婦人乗馬講習所が出来て、若い女の入門者がかなりに輻湊した。瀟洒な洋装で肥馬に横乗りするものを其処ら中で見掛けた。更に突飛なのは、六十のお婆さんまでが牛に牽かれて善光寺詣りで娘と一緒にダンスの稽古に出掛け、お爨どんまでが夜業の・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・小涌谷辺は桜が満開で遊山の自動車が輻湊して交通困難であった。たった一台交通規則を無視した車がいたため数十台が迷惑するというのがこういう場合の通則である。「クラブ洗粉」の旗を立てた車も幾台かいた。享楽しながら商売の宣伝になるのは能率のいいこと・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・ 夕陽は荷舟や檣の輻輳している越前堀からずっと遠くの方をば、眩しく烟のように曇らしている。影のように黒く立つ石川島の前側に、いつも幾艘となく碇泊している帆前船の横腹は、赤々と日の光に彩られた。橋の下から湧き昇る石炭の煙が、時々は先の見え・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・これら両岸の運河にはさまざまな運送船が輻輳しているので、市中川筋の眺望の中では、最も活気を帯び、また最も変化に富んだものであろう。 或日わたくしはいつもの如く中洲の岸から清洲橋を渡りかけた時、向に見える万年橋のほとりには、かつて芭蕉庵の・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・今まで荷船の輻湊した狭い堀割の光景に馴らされていた眼には、突然濁った黄いろの河水が、岸の見えない低地の蘆をしたしつつ、満々として四方にひろがっているのを見ると、どうやら水害の惨状を望むが如く、俄に荒凉の気味が身に迫るのを覚えた。わたくしは東・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・けれども俗事の輻輳した時にはそうもして居られない。且又炎暑の時節には火をおこして物を煮る気にもなれない。まずいのを忍んで飲食店の料理を食うのが或時には便宜である。これが僕をして遂にカッフェーの客たらしめた理由の一である。 僕は築地の路地・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ちょうど婆さんの御誂え通りに事件が輻輳したからたまらない」「それでも宇野の御嬢さんはまだ四谷にいるんだから心配せんでもよさそうなものだ」「それを心配するから迷信婆々さ、あなたが御移りにならんと御嬢様の御病気がはやく御全快になりません・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・真白な天井や壁ばかり見ていたので、障子のこまかい棧、長押、襖の枠、茶だんす、新しい畳のへりなど、茶色や黒い線が、かすかに西日を受ける部屋の中で物珍しく輻輳した感じでいちどきに目に映った。火鉢のわきにいつもの場処にさて、と坐る。どうもいろいろ・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・ それにもかかわらず、昨今はいくつかの事情が輻輳して、ますますその仕事と職業との分裂が強まって来ている。そういう傾向の一番あらわれ易い文学の領域などではこの現象がまことに顕著です。直接生計の不安のない夫人たち、家事はほかのひとにまかせる・・・ 宮本百合子 「現実の道」
・・・ ウエルズがこの文化史のなかで云っているとおり、現在世界の二十一億の人間の上に輻輳している危険、混乱、厄災が全く未曾有のものであるのは、科学が人間に曾てなかった暴力を与えているからであると同時に、「恐れを知らぬ思想、徹底的に透明な陳述、・・・ 宮本百合子 「世代の価値」
出典:青空文庫