・・・私たちに、もし帰る家庭があるならば、それこそ私たち自身の社会的な努力によってその構造を辛くも守りたてて来ているからではないだろうか。戦争中、女はあんなに働かされた。働かされ、又働き、そしてその働きによってこそ、疲れて夕刻に戻る家路を保って来・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・今日において、作者は、多く主観をひっこめて、現実のあるままの姿を描こうとしているようでありながら、その現実をうつす鏡は作者が今日の生活の波濤に対して辛くも足がかりとして保とうとするその人々の形而上学であると思える。この事実は例えば「幸福」に・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ うなりを立てて廻転する大都会の車輪の一端に、辛くも止まって居る微細な神経は、過度な刺激で或程度にすりへらされて居ります。 そのすりへらされた神経に与える変化は、どうしても濃厚なものでなければなりません。生活に疲れた頭は決して、低声・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・云々というくだり、自分に唄う子守唄のところ、そこに出ている久内の生活の調子の実際のひくさは、ただひとえに、彼自身が、ひとに分らなくても悲しくはないぞといいつつ主観的に強調している自意識の自由感によって辛くも合理化され、彼を自殺から救っている・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・この画というのは、巨大な軍服に白手袋の魯国が仰向きに倒れんとして辛くも首と肱とで体を支えている腹の上に、身長五分ばかりの眉目の吊上った日本兵がのって銃剣をつきつけているイギリス漫画である。三十二年後の今日の漫画家は果してどのようなカトゥーン・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・その解決のない矛盾と焦慮とを平面的で濃厚な色彩で辛くも塗り圧えようとしている苦しさが画面から私の感情に迫って来たのであった。 洋画の部でも、私は精神をつかまれたように感じて立ち止るような絵には出会うことが出来なかった。 この洋画の部・・・ 宮本百合子 「帝展を観ての感想」
・・・母は、私を待って、その時まで終るべき命を辛くも堪えていたように見えた。 母は数年来重い糖尿病を患っていたが、それを克己的に養生して治すということは性質として出来なかったし、三年前膵臓の膿腫というのをやった時は、誰しも恢復する力が母の体の・・・ 宮本百合子 「母」
・・・アメリカの文明の程度というとき、ニューヨークの郊外にトタン屑をふき合わせた小舎がけで辛くも生存している失業者たちの生活にテレヴィジョンが入っていないから、という点ではいわれないのである。 けれども、文化というと、それぞれの文明の諸相が、・・・ 宮本百合子 「婦人の文化的な創造力」
・・・謂わば、条件のよくない風土に移植され、これ迄伸び切ったこともない枝々に、辛くも実らしいものをつけた果樹が、第二次世界大戦の暴風雨によって、弱いその蔕から、パラパラと実を落されたと云えないであろうか。これ迄のフランス文化が自身の古い土壌の上で・・・ 宮本百合子 「よもの眺め」
・・・それは、これらの人々も日本のインテリゲンツィアとして、全人民の一部として、久しい戦争の年々の間、理性的文盲政策のもとに苦しみ、すき間から洩れる光を追うように、自分たちの生存と文学の理性を辛くももちこたえてきたと同時に、マイナスの面もさけきれ・・・ 宮本百合子 「両輪」
出典:青空文庫