・・・諸物価は益々騰貴するにもかゝわらず、農作物はその割に上らなかった。出来ることならば息子に百姓などさせたくなかった。ちっと学問をさせてもいゝと思っていた。 清三は頻りに中学へ行きたがった。そして、ついにおしかには無断で、二里ばかり向うの町・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・ 天然の植物の多様性と相対して日本の農作物の多様性もまた少なくも自分の目で見た西欧諸国などとは比較にならないような気がするのである。もっともこれは人間の培養するものであるから、国民の常食が肉食と菜食のどちらに偏しているかということにもよ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・八 秋 その年の農作物の収穫は、気候のせいもありましたが、十年の間にもなかったほど、よくできましたので、火山局にはあっちからもこっちからも感謝状や激励の手紙が届きました。ブドリははじめてほんとうに生きがいがあるように思いまし・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・人々は農作物の為めに一雫の雨でもと待ち焦れている。二百十日が翌日に迫っていたので、この地震は天候の変化する前触れとし、寧ろ歓迎した位なのであった。果して、午後四時頃から天気が変り、烈しい東南風が吹き始めた。大粒な雨さえ、バラバラとかかって来・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫