・・・内職の、楊枝を辻占で巻いていた古女房が、怯えた顔で――「話に聞いた魔ものではないかのう。」とおっかな吃驚で扉を開けると、やあ、化けて来た。いきなり、けらけらと笑ったのは大柄な女の、くずれた円髷の大年増、尻尾と下腹は何を巻いてかくしたか、縞小・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 諸君が随処、淡路島通う千鳥の恋の辻占というのを聞かるる時、七兵衛の船は石碑のある処へ懸った。 いかなる人がこういう時、この声を聞くのであるか? ここに適例がある、富岡門前町のかのお縫が、世話をしたというから、菊枝のことについて記す・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ と言ったが、軽く膝で手を拍って、「ほんに、辻占がよくって、猟のお客様はお喜びでございましょう。」「お喜びかね。ふう成程――ああ大した勢いだね。おお、この静寂な霜の湖を船で乱して、谺が白山へドーンと響くと、寝ぬくまった目を覚して・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・併し、若い者の情事には存外口喧しくなく、玄人女に迷って悩んでいる板場人が居れば、それほど惚れているのだったら身受けして世帯を持てと、金を出してやったこともあるという。辻占売りの出入りは許さなかったが、ポン引が出入り出来るのはこの店だけだった・・・ 織田作之助 「世相」
・・・三つに折ることもよく合点しやがて本文通りなまじ同伴あるを邪魔と思うころは紛れもない下心、いらざるところへ勇気が出て敵は川添いの裏二階もう掌のうちと単騎馳せ向いたるがさて行義よくては成りがたいがこの辺の辻占淡路島通う千鳥の幾夜となく音ずるるに・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・たちまち酩酊いたしました。辻占売の女の子が、ビヤホールにはいって来ました。博士は、これ、これ、と小さい声で、やさしく呼んで、おまえ、としはいくつだい? 十三か。そうか。すると、もう五年、いや、四年、いや三年たてば、およめに行けますよ。いいか・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・悪い辻占のように思われた。こんどの旅行は、これは、失敗かも知れぬ。 列車が上諏訪に近づいたころには、すっかり暗くなっていて、やがて南側に、湖が、――むかしの鏡のように白々と冷くひろがり、たったいま結氷から解けたみたいで、鈍く光って肌寒く・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ これで対照されていいと思うものは冬の霜夜の辻占売りの声であった。明治三十五年ごろ病気になった妻を国へ帰してひとりで本郷五丁目の下宿の二階に暮らしていたころ、ほとんど毎夜のように窓の下の路地を通る「花のたより、恋のつじーうら」という妙に・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・……春の野にありとあらゆる蒲公英をむしって息の続づかぬまで吹き飛ばしても思う様な辻占は出ぬ筈だとウィリアムは怒る如くに云う。然しまだ盾と云う頼みがあるからと打消すように添える。……これは互に成人してからの事である。夏を彩どる薔薇の茂みに二人・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 伝便や花櫚糖売は、いつの時侯にも来るのであるが、夏は辻占売なんぞの方が耳に附いて、伝便の鈴の音、花櫚糖売の女の声は気に留まらないのである。 こんな晩には置炬燵をする人もあろう。しかし実はそれ程寒くはない。 翌朝手水鉢に氷が張っ・・・ 森鴎外 「独身」
出典:青空文庫