・・・ ……迎えるものも、迎えらるるものも、この晴れ晴れした哄笑はどうだ 暖かい、冬の朝暾を映して、若い力の裡に動いている何物かが、利平を撃った。縁端にずらり並んだ数十の裸形は、その一人が低く歌い出すと、他が高らかに和して、鬱勃たる力を見せる・・・ 徳永直 「眼」
・・・四五輛の人力車を連ねて大きな玄関口へ乗付け宿の女中に出迎えられた時の光景は当世書生気質中の叙事と多く異る所がなかったであろう。根津の社前より不忍池の北端に出る陋巷は即宮永町である。電車線路のいまだ布設せられなかった頃、わたくしは此のあたりの・・・ 永井荷風 「上野」
・・・千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残っている。カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐めてこれを各室に按排し好事のものにはいつでも縦・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・例の放蕩息子を迎えた父のように、いかなる愚人、いかなる罪人に対しても弥陀はただ汝のために我は粉骨砕身せりといって、これを迎えられるのが真宗の本旨である。『歎異抄』の中に上人が「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけ・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・死金ばかりは使わず、きれるところにはきれもするので、新造や店の者にはいつも笑顔で迎えられていたのであった。「寒いッたッて、箆棒に寒い晩だ。酒は醒めてしまッたし、これじゃアしようがない。もうなかッたかしら」と、徳利を振ッて見て、「だめだ、・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・世間無数の老人夫婦が倅に嫁を迎え娘に養子を貰い、無理に一家の中に同居して時に衝突を起せば、乃ち言く、是れ程に手近く傍に置て優しく世話するにも拘らず動もすれば不平の色ありとて、愚痴を洩す者多し。毎度聞く所なれども、何ぞ計らん、其手近くせられて・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・しかしてこの談一たび世に伝わるや、俳人としての蕪村は多少の名誉をもって迎えられ、余らまた蕪村派と目せらるるに至れり。今は俳名再び画名を圧せんとす。 かくして百年以後にはじめて名を得たる蕪村はその俳句において全く誤認せられたり。多くの人は・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・お二人は家に入り、母さまが迎えなされて戸の環を嵌めておられますうちに、童子はいつかご自分の床に登って、着換えもせずにぐっすり眠ってしまわれました。 また次のようなことも申します。 ある日須利耶さまは童子と食卓にお座りなさいました。食・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・ アメリカ国内の民主的なすべての人々は、政権争いをこえて世界をあかるくするための誠意の披瀝されたウォーレスの綱領を好意的に迎えた。共和党と根本においては大差のない民主党が、トルーマンを当選させるためには、その政策をかけひきなしに民主的人・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・ と誰やらが云ったばかりで、起って出迎えようともしない。男も女も熱心に病人を目守っているらしい。 花房の背後に附いて来た定吉は、左の手で汗を拭きながら、提げて来た薬籠の風呂敷包を敷居の際に置いて、台所の先きの井戸へ駈けて行った。直ぐ・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫