・・・故作家と生前、特に親交あり、いま、その作家を追慕するのあまり、彼の戯れにものした絵集一巻、上梓して内輪の友人親戚間にわけてやるなど、これはまた自ら別である。あかの他人のかれこれ容喙すべき事がらでない。 私は一読者の立場として、たとえばチ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・いっそ、明治が生んだ江戸追慕の詩人斎藤緑雨の如く滅びてしまいたいような気がした。 ああ、しかし、自分は遂に帰らねばなるまい。それが自分の運命だ、河を隔て堀割を越え坂を上って遠く行く、大久保の森のかげ、自分の書斎の机にはワグナアの画像の下・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・そして恨然として江戸徃昔の文化を追慕し、また併せてわが青春の当時を回想するのである。 震災の後わたくしは多く家にのみ引籠っているので、市中繁華の街の景況については、そのいわゆる復興の如何を見ることが稀である。それに反して向島災後の状況に・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ 従って、自分が死去した良人を追慕し、彼が自分の隣に坐っていた時と同様の愛に燃立った時、それに応えてくれる声、眼、彼の全部を持ち得ないのだと想うことは、どれ程の空虚を感じるかということは明かです。 その空虚の予感が自分を苦しめます。・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・ 確かに呼吸が止まり冷たい、堅い骸となって横わっている自分の前では、もう一人のこれも自分には違いない自分が、厭な辛いことを健気にも最後まで忍び、雄々しい生涯を終った自らを、感歎し、賞揚し追慕して、潸然と涙を流している……。 こんな、・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ 自分が種々の事物に触れて来るに連れて、彼の青年の先生に対する追慕は、今、一人の純粋な青年に対する心と成っている。 自分が悪い沢山の事を知ったように、彼の先生も種々の醜い事を知ったり知らされたりなさっただろう、そして又その醜悪に対比・・・ 宮本百合子 「追慕」
・・・しかしながら、それらのブルジョア作家、批評家の大部分が、同志小林多喜二の業績を追慕しながらも、自分の属す階級の制約性によって同志小林の不撓の発展の本質を正しく評価し得ず、ある者は結果として反動におちいり、ある者は誤った文化主義を強調するに至・・・ 宮本百合子 「同志小林の業績の評価に寄せて」
・・・自分の姿とを認めるきりで、とても過ぎ去った歓楽を追慕するような心持ちなどにはなれません。もう少し年を取ったらどうなるかわかりませんが、今のところでは回顧するたびごとにただ後悔に心臓を噛まれるばかりです。 しかし私は青春と名のつく時期を低・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
出典:青空文庫