・・・とやはり下女を追窮している。「ねえ」「じゃ阿蘇の御宮まではどのくらいあるかい」「御宮までは三里でござりまっす」「山の上までは」「御宮から二里でござりますたい」「山の上はえらいだろうね」と碌さんが突然飛び出してくる。・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・この根本的な疑問を、それぞれの作家が、どんな歴史の見かたで、どんな歴史のなかで、どんな階級の人として、どんな方法で追究し、芸術化して行ったかが、作品形成の一つの過程である。 きょう作品を読む人々は、自分が現代の日本の現実の中に働いて生き・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・は、弟の死という事実に面して、その悲しみをどこまでも客観的に追究し、記録しておこうとする熱意によってかかれた短篇である。今日、よみかえしてみて興味のある点は、この短篇が、死という自然現象を克明に追跡しながら、弟をめぐる人間関係が、同じ比重で・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・二十一歳になった作者が、めずらしく病的で陰惨な一人の男である主人公の一生を追究している。描写のほとんどない、ひた押しの書きぶりにも特徴がある。 ニューヨークのようなところに生活しているとき、若い作者がなぜその人として珍しいほど暗い題材を・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・製作者がこういう中年の美しい独身の母の心理に興味をもつなら、それとして、もっと粘って追究すべきであったろう。母と娘との間に、女として対立の刹那もあるわけであろうから。小説的な捉えかたかもしれないけれども、苦しんでいるイレーネが、自分の悶えを・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・しかも、作者は一種の熱中をもって主人公葉子の感情のあらゆる波を追究しようとしていて、時には表現の氾濫が感じられさえする。 葉子というこの作の主人公が、信子とよばれたある実在の婦人の生涯のある時期の印象から生れているということはしばしば話・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
この小説の最後の一行を読み終って、さてと心にのこされたものをさぐって見ると、それは作者がカソリック精神で表現している「死の意味」への納得ではなくて、死というものをもこれだけに追究しとり組んで行く、人間の生きてゆく姿の感銘で・・・ 宮本百合子 「生きてゆく姿の感銘」
・・・ もとより悪質な諸犯罪、殺人、お家騒動のからくりに対しては、十分専門家としての追究が必要とされる。これから実現する戦時利得税、財産税をすりぬけようとして、大小の各財閥が工夫をこらすであろう術策などは、きっとその専門家的欲望の対象となるで・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・鴎外が、当時の江戸の庶民生活のありようの一典型として喜助のめぐり会わせを追究していないとこも、一方には注目される。作者を動かしたつよいモティーヴの一つであるユウタナジイの問題にしろ、同じ事情が武士の兄弟の間におこったとしたら、当時の通念はそ・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・そうして「どこまでも追究して見なければならない」というふうな言い回しが、「どこまでも追究して見なくてはならない」というのと幾分違った語感を伴なうに至っていることをも認めざるを得なかった。先生が「なければならない」という言葉に出会うごとに感じ・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫