・・・われには少しもこの夜の送別会に加わらん心あらず、深き事情も知らでただ壮なる言葉放ち酒飲みかわして、宮本君がこの行を送ると叫ぶも何かせん。 げに春ちょう春は永久に逝きぬ。宮本二郎は永久を契りし貴嬢千葉富子に負かれ、われは十年の友宮本二郎と・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・手袋を買ってやる金を新聞社に送るべきか。リップスによればそうすべきだ。しかし一方はわが子で目の前に見、他方は他国でうわさに聞くのみ。情緒の上には活々とした愛と動機力は無論幼児の手袋を買ってやる方にはたらいている。客観的事実の軽重にしたがって・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・彼は、受取ったすぐ、その晩――つまり昨夜、旧ツアー大佐の娘に、毎月内地へ仕送る額と殆ど同じだけやってしまったことを後悔していた。今日戦争に出ると分っていりゃ、やるのではなかった。あれだけあれば、妻と老母と、二人の子供が、一ヵ月ゆうに暮して行・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・過る者は送るがごとく、来るものは迎うるに似たり。赤き岸、白き渚あれば、黒き岩、黄なる崖あり。子美太白の才、東坡柳州の筆にあらずはいかむかこの光景を捕捉しえん。さてそれより塩竈神社にもうでて、もうこの碑、壺の碑前を過ぎ、芭蕉の辻につき、青葉の・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・よしんば偶然にしてその寿命のみをたもちえても、健康と精神力とがこれにともなわないで、ながく困窮・憂苦の境におちいり、みずからたのしまず、世をも益することなく、碌々・昏々として日を送るほどならば、かえって夭死におよばぬではないか。 けだし・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・をするのに、すぐ指先がかじかんで、一寸やっては顎の下に入れて暖めているのを見るに見兼ねて、「え糞ッ!」という気になり、ストーヴをたきつけてやったと云っている。 監獄にいるお前に「お守り」を送ることをするようなお前の母は、冬がくると家中の・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・其日々々の勤務――気圧を調べるとか、風力を計るとか、雲形を観察するとか、または東京の気象台へ宛てて報告を作るとか、そんな仕事に追われて、月日を送るという境涯でも、あの蛙が旅情をそそるように鳴出す頃になると、妙に寂しい思想を起す。旅だ――五月・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・(と検事は、はじめて白い歯を出して微笑そうで無ければ、私は今すぐあなたを、未決檻に送るつもりでいたのですよ。殺人幇助という立派な罪名があります。 以上は、かの芸術家と、いやらしく老獪な検事との一問一答の内容でありますが、ただ、これだけで・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ こう云う二人が出逢ったのだから、面白く月日を送ることは、この上もない。勿論その入費は非常である。ポルジイのドリスを愛することは、知り合いになってから、月日が立つと共に、深くなって来る。どんなに面白い女か、どんな途方もない落想のある女か・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 家屋の彼方では、徹夜して戦場に送るべき弾薬弾丸の箱を汽車の貨車に積み込んでいる。兵士、輸卒の群れが一生懸命に奔走しているさまが薄暮のかすかな光に絶え絶えに見える。一人の下士が貨車の荷物の上に高く立って、しきりにその指揮をしていた。・・・ 田山花袋 「一兵卒」
出典:青空文庫