・・・ 寝床の中でそれを聞き、とうとう私も逆上した。もし私が、あの場に居合せたなら、そうして司会者から意見を求められたなら、きっとこう叫ぶ。「私は税金を、おさめないつもりでいます。私は借金で暮しているのです。私は酒も飲みます。煙草も吸いま・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・ただ挨拶だけにして別れたらよいのに、本当に、よせばよいのに、れいの持ち前の歓待癖を出して、うちはすぐそこですから、まあ、どうぞ、いいじゃありませんか、など引きとめたくも無いのに、お客をおそれてかえって逆上して必死で引きとめた様子で、笹島先生・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・草田氏をはじめ、その中泉という老耄の画伯と、それから中泉のアトリエに通っている若い研究生たち、また草田の家に出入りしている有象無象、寄ってたかって夫人の画を褒めちぎって、あげくの果は夫人の逆上という事になり、「あたしは天才だ」と口走って家出・・・ 太宰治 「水仙」
・・・は二つ三つ、いい雑誌に発表せられ、その反響として起った罵倒の言葉も、また支持の言葉も、共に私には強烈すぎて狼狽、不安の為に逆上して、薬品中毒は一層すすみ、あれこれ苦しさの余り、のこのこ雑誌社に出掛けては編輯員または社長にまで面会を求めて、原・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・土くれにしがみついて、ひとりで、よじ登って行くのだが、しかし、先輩たちは、山の上に勢ぞろいして、煙草をふかしながら、私のそんな浅間しい姿を見おろし、馬鹿だと言い、きたならしいと言い、人気とりだと言い、逆上気味と言い、そうして、私が少し上に登・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・「よせ!」三木は、飛びのいた。「逆上してやがる。いいか。僕の話を、よく聞け。ゆうべは、僕も失礼した。要らないことを言った。」 ゆうべは、新宿のバアで一緒にのんだ。かねて、顔見知りの間柄である。ふと、三木が、東北の山宿のことに就いて、口を・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・空襲に遭って、いろいろな駅でおろされて野宿し、しまいには食べるものが無くなって、睦子と二人で抱き合って泣いていたら、或る女学生がおにぎりと、きざみ昆布と、それから固パンをくれて、睦子はうれしさのあまり逆上したのか、そのおにぎりを女学生に向っ・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・ひどく肥満した土地の先生らしいのが、逆上して真赤になって、おれに追い附いた。手には例の包みを提げている。おれは丁寧に礼を言った。肥満した先生は名刺をくれておれと握手した。おれも名刺を献上した。見物一同大満足の体で、おれの顔を見てにこにこして・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ たださえ耳の悪いのが、桟敷の不良な空気を吸って逆上して来たために、猶更聞こえが悪くなったのか、それとも云っている事が、よほど自分の頭に這入りにくい事柄であるせいか、かなり骨を折ったにもかかわらず、これらの演説がどれもよく聞き取れなかっ・・・ 寺田寅彦 「議会の印象」
・・・縁側へ日が強くさして何だか逆上する。鼻の工合が変だが、昨日の写生で風でも引きやしなかったかしらん。東の間では御ばあさんの声で菊尾さんを呼んでいる。定勝を尋ねて来いといいつけている。着物の寸法も取らねばならんのに朝から何処へいったのかとブツブ・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
出典:青空文庫