・・・ 丁度その途端です。誰か外へ来たと見えて、戸を叩く音が、突然荒々しく聞え始めました。 二 その日のかれこれ同じ時刻に、この家の外を通りかかった、年の若い一人の日本人があります。それがどう思ったのか、二階の窓から顔・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・その途端に侍の手が刀の柄前にかかったと思うと、重ね厚の大刀が大袈裟に左近を斬り倒した。左近は尻居に倒れながら、目深くかぶった編笠の下に、始めて瀬沼兵衛の顔をはっきり見る事が出来たのであった。 二 左近を打たせた・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・するとその途端である。馭者は鞭を鳴らせながら、「スオ、スオ」と声をかけた。「スオ、スオ」は馬を後にやる時に支那人の使う言葉である。馬車はこの言葉の終らぬうちにがたがた後へ下り出した。と同時に驚くまいことか! 俺も古本屋を前に見たまま、一足ず・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ と優しい声を聞いて、はっとした途端に、真上なる山懐から、頭へ浴びせて、大きな声で、「何か、用か。」と喚いた。「失礼!」 と言う、頸首を、空から天狗に引掴まるる心地がして、「通道ではなかったんですか、失礼しました、失礼で・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 飛下りて、胴の間に膝をついて、白髪天頭を左右に振ったが、突然水中へ手を入れると、朦朧として白く、人の寝姿に水の懸ったのが、一揺静に揺れて、落着いて二三尺離れて流れる、途端に思うさま半身を乗出したので反対の側なる舷へざぶりと一波浴せたが・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・、席をお立ちになった御容子を見れば、その時まで何事も御存じではなかったのが分って、お心遣いの時間が五分たりとも少なかった、のみならず、お身体の一箇処にも紅い点も着かなかった事を、――実際、錠をおろした途端には、髪一条の根にも血をお出しなすっ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ この犬が或る日、二葉亭が出勤した留守中、お客が来て格子を排けた途端に飛出し、何処へか逃げてしまってそれ切り帰らなかった。丁度一週間ほど訪いも訪われもしないで或る夕方偶と尋ねると、いつでも定って飛付く犬がいないので、どうした犬はと訊くと・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・とは思ったが、何しろ女房の手前もあることだから、そこはその儘冗談にまぎらして帰って来たが、その晩は少し遅くなったので、淋しい横町から、二人肩と肩と擦れ寄りながら、自分の家の前まで来て内へ入ろうと思った途端、其処に誰も居ないものが、スーウと格・・・ 小山内薫 「因果」
・・・ すると、爺さんはニコニコしながら、それを拾って、自分の直ぐ側に立っている見物の一人に、おいしいから食べて御覧なさいと言いました。 途端に、空から長い網がするすると落ちて来ました。それが、見ている間に、するするするすると落ちて来て、・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・先に立った女中が襖をひらいた途端、隣室の話し声がぴたりとやんだ。 女中と入れかわって、番頭が宿帳をもって来た。書き終ってふと前の頁を見ると、小谷治 二十九歳。妻糸子 三十四歳――という字がぼんやり眼にはいった。数字だけがはっきり頭に来た・・・ 織田作之助 「秋深き」
出典:青空文庫