・・・そして四五日逗留していた。この弟夫婦の処に、昨年の秋から、彼の総領の七つになるのが引取られているのであった。 惣治はこれまでとてもさんざん兄のためには傷められてきているのだが、さすがに三十面をしたみすぼらしい兄の姿を見ては、卒気ない態度・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ちがえにて、いと知れにくかりければ、いそがずはまちがえまじを旅人の あとよりわかる路次のむだ道 二十一日、この日もまた我が得べき筋の金を得ず、今しばらく待ちてよとの事に逗留と決しける。 二十二日、同じく閑・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・夏二た月の逗留の間、自分はこの花瓶に入り替りしおらしい花を絶やしたことがなかった。床の横の押入から、赤い縮緬の帯上げのようなものが少しばかり食みだしている。ちょっと引っ張ってみるとすうと出る。どこまで出るかと続けて引っ張るとすらすらとすっか・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・北沢君なんかといっしょに訪ね、小生もその附近の宿にしばらく逗留してみたいと思います。奥さんによろしく。頓首。早川俊二。津島修治様。」「三拾円しか出来ない。いのちがけ、ということをきいて心配いたして居りますが、どんなんですか。本当は二十日・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ もっともモーパサンのは標題の示すごとく、逗留二十五日間の印象記という種類に属すべきもので、プレヴォーのは滞在ちゅうの女客にあてたなまめかしい男の文だから、双方とも無名氏の文字それ自身が興味の眼目である。自分の経験もやはりふとした場所で・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・もう二三日逗留して、すぐ熊本へ引き返そうじゃないか」と碌さんがすぐ云う。「どうぞ、いつまでも御逗留なさいまっせ」「せっかく、姉さんも、ああ云って勧めるものだから、どうだろう、いっそ、そうしたら」と碌さんが圭さんの方を向く。圭さんは相・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・するとそこに細君と年齢からその他の点に至るまで夫婦として、いかにも釣り合のいい男が逗留していまして細君とすぐ懇意になります。両人は毎日海の中へ飛び込んでいっしょに泳ぎ廻ります。爺さんは浜辺の砂の上から、毎日遠くこれを拝見して、なかなか若いも・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・しかるに手紙にては互に相慰め、慰められていながら、面と相向うては何の語も出ず、ただ軽く弔辞を交換したまでであった。逗留七日、積る話はそれからそれと尽きなかったが、遂に一言も亡児の事に及ばなかった。ただ余の出立の朝、君は篋底を探りて一束の草稿・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・ このルネッサンス時代の芸術の古都フローレンスの逗留が、四十三歳であったケーテにどのような芸術上の収穫を与えただろうか。一九一〇年にこの旅行から帰ってから、第一次欧州大戦のはじまる迄の四年ばかり、ケーテは全く沈黙した。 六枚つづきの・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・ 今度は少し長逗留なので、私はこれ迄一向注意を払わなかった亡祖父の蔵書を見る気になった。良いもの、纏ったものは皆東京にうつされ此方に遺っているのは、ちぐはぐな叢書の端本、一寸した単行本等に過ない筈である。 ひどくこの地方名物の風が吹・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
出典:青空文庫