・・・非常にのろい速力でゆっくりと行たので翌日の午後に漸く和田の岬へ著いた。上陸が出来るか出来んかと皆固唾を呑んで待って居たがこの日は上陸が出来ずに暮れてしもうた。翌日の十時頃に上陸の事にきまったので一同は愁眉を開いた。殊に荷物を皆持って上れとい・・・ 正岡子規 「病」
・・・シリンクスの速力はだんだんにぶくなって、 恥かしいんでございますワ。と叫ぶ声も細くなる。も一寸でペーンがおいつく様になる。小川の岸に来てしまった。精女 恥かしいんでございますワ!ペーン シリンクス、美くしい!・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・それは現実があまり切迫して、早い速力で遷って行くから、一つの行動の必要が起ったとき、その意味や価値をじっくり自分になっとく出来るまで考えているゆとりがなくて、ともかく眼の前の必要を満たすように動かなければならないということではないだろうか。・・・ 宮本百合子 「あとがき(『幸福について』)」
・・・人一人の生涯の推移変遷は予測しがたいところがある激しさだから、ある時期は互の移りゆく速力が倍加した速力となって互に作用し合うような時期もあるだろう。そういうときでも、なおその間に十分な同感、納得、評価が可能であるだけの確乎とした生活態度が互・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・少し出て来た風にその薄のような草のすきとおった白い穂がざわめく間を、エンジンの響を晴れた大空のどこかへ微かに谺させつつ自動車は一層速力を出して単調な一本道を行く。 ショウモンの大砲台の内部は見物出来るようになっていた。一行が降り立ったら・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・それのみか、一年の時を経た昨今、彼らは呆然自失から立ちなおり、きわめて速力を出して、この佝僂病が人間性の上にのこされているうちに、まだわたしたちの精神が十分強壮、暢達なものと恢復しきらないうちに、その歪みを正常化するような社会事情を準備し、・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・時にはテーマの屈折角度から、時には黙々たる行と行との飛躍の度から、時には筋の進行推移の逆送、反覆、速力から、その他様々な触発状態の姿がある。未来派は心象のテンポに同時性を与える苦心に於て立体的な感覚を触発させ、従って立体派の要素を多分に含み・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・ 彼は水平線へ半円を沈めて行く太陽の速力を見詰めていた。 ――あれが、妻の生命を擦り減らしている速力だ、と彼は思った。 見る間に、太陽はぶるぶる慄えながら水平線に食われていった。海面は血を流した俎のように、真赤な声を潜めて静まっ・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・船体の計算に誤算があるので、おれはそれを直してみたのですが、おれの云うようにすれば、六ノット速力が迅くなる、そういくら云っても、誰も聞いてはくれないのですよ。あの船体の曲り具合のところです。そこの零の置きどころが間違っているのです。」 ・・・ 横光利一 「微笑」
・・・よい具合だと思って速力を増して駈ける。五六間手前まで行くと電車は動き初めた。しまッたと思いながらなお懸命に追い駈けて行く。電車はだんだん早くなる。それを見てとても乗れまいという気がしたので、私はふと立ち留まった。その瞬間にあれに乗らなければ・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫