・・・ 笠井が逸早く仁右衛門を見付けてこういうと、仁右衛門の妻は恐れるように怨むように訴えるように夫を見返って、黙ったまま泣き出した。仁右衛門はすぐ赤坊の所に行って見た。章魚のような大きな頭だけが彼れの赤坊らしい唯一つのものだった。たった半日・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・それじゃ僕が……沢本と戸部とが襲いかかる前に瀬古逸早くそれを口に入れる。瀬古 来た来た花田たちが来たようだ。早く口を拭え。花田と青島登場。花田 おまえたちは始終俺のことを俗物だ俗物だといっていやがったな。・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・少女の何人かを逸早く米国に送ってそれを北海道の開拓者の内助者たらしめようとしたこともある。当時米国の公使として令名のあった森有礼氏に是非米国の婦人を細君として迎えろと勤めたというのもその人だ。然し黒田氏のかゝる気持は次代の長官以下には全く忘・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・亭主も逸早くそれを知っていて、恭しく挨拶をした。浴衣の上だけれど、紋の着いた薄羽織を引かけていたが、さて、「改めて御祝儀を申述べます。目の下二尺三貫目は掛りましょう。」とて、……及び腰に覗いて魂消ている若衆に目配せで頷せて、「かような大魚、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 迂濶知らないなぞと言おうものなら、使い方を見せようと、この可恐しい魔法の道具を振廻されては大変と、小宮山は逸早く、「ええ、もう存じておりますとも。」 と一際念入りに答えたのでありまする。言葉尻も終らぬ中、縄も釘もはらはらと振り・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・辰弥の耳は逸早く聞きつけて振り返りぬ。欄干にあらわれたるは五十路に近き満丸顔の、打見にも元気よき老人なり。骨も埋もるるばかり肥え太りて、角袖着せたる布袋をそのまま、笑ましげに障子の中へ振り向きしが、話しかくる一言の末に身を反らせて打ち笑いぬ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・佐伯は逸早く、熊本君の、そのずるい期待を見破った様子で、「君は、もう帰ったらどうだい。ナイフも返してやったし、制服と帽子も今すぐ、この人が返してあげるそうだ。ステッキを忘れないようにしろよ。」にこりともせず、落ちついた口調で言ったのであ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・髪を切り下げにした隠居風の老婆が逸早く叫んだ。 けれども車掌は片隅から一人々々に切符を切て行く忙しさ。「往復で御在いますか。十銭銀貨で一銭のお釣で御在います。お乗換は御在いませんか。」「乗換ですよ。ちょいと。」本所行の老婆は首でも絞・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・僕は学校の教師見たような事をしていた頃なので、女優と芸者とに耳打して、さり気なく帽子を取り、逸早く外へ逃げだした。後になって当夜の事をきいて見ると、春浪さんは僕等三人が芸者をつれて茶亭に引上げたものと思い、それと推測した茶屋に乱入して戸障子・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・自分たちだけは、様々の軍事上の名目を発明して、数の少い軍用機で、逸早く前線から本土へ逃げて翔びかえってしまった前線の指揮官があることを、これ迄何と度々耳にしていることだろう。軍人社会での階級のきびしさは、公的目的のための制度であったはずであ・・・ 宮本百合子 「逆立ちの公・私」
出典:青空文庫