・・・はてな、停車場から、震えながら俥でくる途中、ついこの近まわりに、冷たい音して、川が流れて、橋がかかって、両側に遊廓らしい家が並んで、茶めしの赤い行燈もふわりと目の前にちらつくのに――ああ、こうと知ったら軽井沢で買った二合罎を、次郎どのの狗で・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 運転手に虐待されても相変らず働いていたのは品子をものにしたという勝利感からであったが、ある夜更け客を送って飛田遊廓の××楼まで行くと、運転手は、「どや、遊んで行こうか。ここは飛田一の家やぜ」 どうせ朝まで客は拾えないし、それに・・・ 織田作之助 「雨」
・・・孤独の寂しさを慰めるために新世界とはつい鼻の先にある飛田遊廓の女に通っていたが、到頭金に詰ったらしかった。保証人の私はその尻拭いをした。 ところが、一年ばかりたったある日、尾羽打ち枯らした薄汚い恰好でやって来ると、実はあんな悪いことをし・・・ 織田作之助 「世相」
・・・―― 夜になると火の点いた町の大通りを、自転車でやって来た村の青年達が、大勢連れで遊廓の方へ乗ってゆく。店の若い衆なども浴衣がけで、昼見る時とはまるで異ったふうに身体をくねらせながら、白粉を塗った女をからかってゆく。――そうした町も今は・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・時代の風潮は遊廓で優待されるのを無上の栄誉と心得て居る、そこで京伝らもやはり同じ感情を有して居る、そこで京伝らの著述を見れば天明前後の社会の堕落さ加減は明らかに写って居ますが、時代はなお徳川氏を謳歌して居るのであります。しかし馬琴は心中に将・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・「中田の遊廓に行ったなんて、うそだそうですよ。小説家なんて、ひどいことを書くもんですね」 こういう言葉も私の耳にはいった。 実際、中田の遊廓の一条は、仮構であった。しかし、青年の一生としては、そうしたシーンが、形は違っても、どこかにあっ・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・ 長崎を立って時津に向かう途中でロシア人専門の遊廓だというところを通ったら二階から女どもが見下ろして何かしら分らないことを云って呼びかけた。それがやはりロシア語であったことになっている。そんなことは解るはずがないのに、夢のような記憶では・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・殊に根津遊廓のことに関しては当時の文書にして其沿革を細説したものが割合に少いので、わたくしは其長文なるを厭わず饒歌余譚の一節をここに摘録する事とした。徒に拙稿の紙数を増して売文の銭を貪らんがためではない。わたくしは此のたびの草稿に於ては、明・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 日本橋区内では○本柳橋かかりし薬研堀の溝渠 浅草下谷区内では○浅草新堀○御徒町忍川○天王橋かかりし鳥越川○白鬚橋瓦斯タンクの辺橋場のおもい川○千束町小松橋かかりし溝○吉原遊郭周囲の鉄漿溝○下谷二長町竹町辺の溝○三味線堀。その他なお・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 踊子の栄子と大道具の頭の家族が住んでいた家は、商店の賑かにつづいた、いつも昼夜の別なくレコードの流行歌が騒々しく聞える千束町を真直に北へ行き、横町の端れに忽然吉原遊廓の家と灯とが鼻先に見えるあたりの路地裏にあった。或晩舞台で稽古に夜を・・・ 永井荷風 「草紅葉」
出典:青空文庫