・・・そういう道学的小説観は今日ではもはや問題にならないが、為永春水輩でさえが貞操や家庭の団欒の教師を保護色とした時代に、馬琴ともあるものがただの浮浪生活を描いたのでは少なくも愛読者たる士君子に対して申訳が立たないから、勲功記を加えて以て完璧たら・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・実際家とするには理想が勝ち過ぎていた。道学先生とするには世間が解り過ぎていた。ツマリ二葉亭の風格は小説家とも政治家とも君子とも豪傑とも実際家とも道学先生とも何とも定められなかった。 社交的応酬は余り上手でなかったが、慇懃謙遜な言葉に誠意・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・陛下の天覧が機会となって伊井公侯の提撕に生じたのだから、社会的には今日の新劇運動よりも一層大仕掛けであって、有力なる縉紳貴女を初め道学先生や教育家までが尽く参加した。当時の大官貴紳は今の政友会や憲政会の大臣よりも遥に芸術的理解に富んでいた。・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・しかし、現在書かれている肉体描写の文学は、西鶴の好色物が武家、僧侶、貴族階級の中世思想に反抗して興った新しい町人階級の人間讃歌であった如く、封建思想が道学者的偏見を有力な味方として人間にかぶせていた偽善のヴェールをひきさく反抗のメスの文学で・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・この本は生の臭覚の欠けたいわゆる腐儒的道学者の感がなく、それかといって芸術的交感と社会的趨勢とに気をひかれすぎて、内面的自律の厳粛性の弱くなったきらいがなく意志の自律性を強靭に固守する点で形式的主観的でありながら、人間行為の客観的妥当性を強・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・直観道学はそれを打ち消して利己以上の発足点を説こうけれども、自分らの知識は、どうも右の事実を否定するに忍びない。かえって否定するものの心事が疑われてならない。(衆生済度傍に千万巻の経典を積んでも、自分の知識は「道徳の底に自己あり」という一言・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
われ、山にむかいて、目を挙ぐ。――詩篇、第百二十一。 子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。少く・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・通俗の言葉で云えば人間が贅沢になる。道学者は倫理的の立場から始終奢侈を戒しめている。結構には違ないが自然の大勢に反した訓戒であるからいつでも駄目に終るという事は昔から今日まで人間がどのくらい贅沢になったか考えて見れば分る話である。かく積極消・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・特に弘道会という国粋的な道徳団体を創った人として、物心づいてから私たちの生活の中へあらわれて来る祖父の名は、私たちにとってしたしいうちのお祖父さんと云うよりもいつも一人の道学者めいたきつい印象を伴った。大きい墓にも西村泊翁という下に先生之墓・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・この点ではこの『娘時代』の著者を必ずしも自分たちの典型的代弁者とはしない一部の若い世代も存在しているのだと思う。道学流の見地からでなく、人間がこの社会に生きてゆく生活力、人間性そのもののもつ合理性によってさばけることで目先にもたらされるゆと・・・ 宮本百合子 「若い婦人の著書二つ」
出典:青空文庫