・・・描写は殆谷崎潤一郎氏の大幅な所を思わせる程達者だ。何でも平押しにぐいぐい押しつけて行く所がある。尤もその押して行く力が、まだ十分江口に支配され切っていない憾もない事はない。あの力が盲目力でなくなる時が来れば、それこそ江口がほんとうの江口にな・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・「まあ、ふだんが達者だから、急にどうと云う事もあるまいがね、――慎太郎へだけ知らせた方が――」 洋一は父の言葉を奪った。「戸沢さんは何だって云うんです?」「やっぱり十二指腸の潰瘍だそうだ。――心配はなかろうって云うんだが。」・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 平胡坐でちょっと磁石さ見さしつけえ、此家の兄哥が、奴、汝漕げ、といわしったから、何の気もつかねえで、船で達者なのは、おらばかりだ、おっとまかせ。」と、奴は顱巻の輪を大きく腕いっぱいに占める真似して、「いきなり艫へ飛んで出ると、船が・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 翁ははじめて、気だるげに、横にかぶりを振って、「芸一通りさえ、なかなかのものじゃ。達者というも得難いに、人間の癖にして、上手などとは行過ぎじゃぞよ。」「お姫様、トッピキピイ、あんな奴はトッピキピイでしゅ。」 と河童は水掻の・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・仕事もおとよさんのように達者でなけゃだめだなア」「や、これや旦那はえいことをいわっしゃった。おはまさんは何でも旦那に帯でも着物でもどしどし買ってもらうんだよ」 省作はただ笑う仲間にばかりなって一向に話はできない。満蔵はもう一俵の米を・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 十年許り前に親父が未だ達者な時分、隣村の親戚から頼まれて余儀なく買ったのだそうで、畑が八反と山林が二町ほどここにあるのである。この辺一体に高台は皆山林でその間の柵が畑になって居る。越石を持っていると云えば、世間体はよいけど、手間ばかり・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・かつかくの如く縦横無礙に勝手気儘に描いていても、根柢には多年の研鑽工風があったので、決して初めから出鱈目に描きなぐって達者になったのではなかった。椿岳の画家生活 椿岳の画を学ぶや売るためでなかった。画家の交際をしていても画家と称され・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「まりさん、お達者にお暮らしなさい。さようなら……。」と、雲は、名残惜しげに別れを告げました。「ありがとうございました。」と、まりは、お礼をいいました。 やがて、夜が明け放れると、やぶの中へ朝日がさし込みました。小鳥は木の頂で鳴・・・ 小川未明 「あるまりの一生」
・・・「そんないい温泉があって、この体が達者になれるものなら、いま死んでしまっては、なんの役にもたたない。どうかして、その温泉へいって体を強くしてこなければならない。」と、少年は思いました。 なにをするにしても、病身であって、思うように力・・・ 小川未明 「石をのせた車」
・・・お互に命がありゃまた会わねえとも限らねえから、君もまあ達者でいておくんなせえ、ついちゃここに持合せが一両と少しばかりある、そのうち五十銭だけ君にあげるから……」と言いながら、腹巻を探った。 私はあまりに不意なので肝を潰した。「本当で・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫