・・・死骸はわずか一間と隔てぬ所に在るのだけれど、その一間が時に取っては十里よりも……遠いのではないが、難儀だ。けれども、如何仕様も無い、這って行く外はない。咽喉は熱して焦げるよう。寧そ水を飲まぬ方が手短に片付くとは思いながら、それでも若しやに覊・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・そして無理算段をしては、細君を遠い郷里の実家へ金策に発たしてやったのであった。……「なんだってあの人はあゝ怒ったの?」「やっぱし僕達に引越せって訳さ。なあにね、明日あたり屹度母さんから金が来るからね、直ぐ引越すよ、あんな奴幾ら怒った・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・その上に遠い山々は累って見える。比叡山――それを背景にして、紡績工場の煙突が煙を立登らせていた。赤煉瓦の建物。ポスト。荒神橋には自転車が通り、パラソルや馬力が動いていた。日蔭は磧に伸び、物売りのラッパが鳴っていた。 五・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・風の清いこと寒いこと、月の光の遠いこと空の色の高いこと! 僕はきっと今日は鹿が獲れると思った。『徳さん徳さん今井の叔父さんを起こしてくれ』とたれか家内で呼ぶから僕は帰って見ると、みんな出発に取りかかっていたが叔父さんばかり高いびきで臥て・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・しかしながらまだ、彼らが知性の否定や、啓示の肯定をいうようになる時機はおそらく遠いであろう。 われわれは生の探求に発足した青年に、永遠の真理の把握と人間完成とを志向せしめようと祈願するとき、彼らがいずれはその理性知を揚棄せねばならぬこと・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・ 黄色い鈍い太陽は、遠い空からさしていた。 屋根の上に、敵兵の接近に対する見張り台があった。その屋根にあがった、一等兵の浜田も、何か悪戯がしてみたい衝動にかられていた。昼すぎだった。「おい、うめえ野郎が、あしこの沼のところでノコ・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・その顔がハッキリ分らないから、大噐氏は燈火を段と近づけた。遠いところから段と歩み近づいて行くと段と人顔が分って来るように、朦朧たる船頭の顔は段と分って来た。膝ッ節も肘もムキ出しになっている絆纏みたようなものを着て、極小さな笠を冠って、やや仰・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・ 飯の車が俺の監房に廻わってきたとき、今度は向うの一番遠い監房――No. 1. あたりで「ロシア革命万歳」を叫んでいるのが聞えた。看守はむずかしい顔をしていた。――誰か口笛で「インターナショナル」を吹いている……。俺は飯をそのまゝにして・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・不自由な男の手一つでも、どうにかわが子の養えないことはあるまい、その決心にいたったのは私が遠い外国の旅から自分の子供のそばに帰って来た時であった。そのころの太郎はようやく小学の課程を終わりかけるほどで、次郎はまだ腕白盛りの少年であった。私は・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・けれども世界の一ばんはての遠いところにおいでになるのです。そこまでいくには第一に大きな船がいります。それも、すっかりマホガニイの木でこしらえて、銅の釘で打ちつけて、銅の板でくるんだ、丈夫な船でないと、とても向うまでいく間持ちません。」と馬は・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫