・・・椿岳は江戸末季の廃頽的空気に十分浸って来た上に、更にこういう道義的アナーキズム時代に遭逢したのだから、さらぬだに世間の毀誉褒貶を何の糸瓜とも思わぬ放縦な性分に江戸の通人を一串した風流情事の慾望と、淫蕩な田舎侍に荒らされた東京の廃頽気分とが結・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・トいうよりはむしろ筋書も何にもなくて無準備無計画で初めたのが勢いに引摺られてトントン拍子にバタバタ片附いてしまおうとは誰だって夢にだも想像しなかったのだから、二葉亭だってやはり、もし存生だったら地震に遭逢したと同様、暗黒でイキナリ頭をドヤシ・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・人生の遭逢は幸福であるとともに一つの危機である。この危機を恐れるならば、他人に対して淡泊枯淡あまり心をつながずに生きるのが最も賢いが、しかしそれではこの人生の最大の幸福、結実が得られないのであるならば、勇ましくまともにこの人生の危機にぶつか・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ただ拘泥せざるを特色とする、人事百端、遭逢纏綿の限りなき波瀾はことごとく喜怒哀楽の種で、その喜怒哀楽は必竟するに拘泥するに足らぬものであるというような筆致が彼らの人生に齎し来る福音である。彼らのかいたものには筋のないものが多い。進水式をかく・・・ 夏目漱石 「写生文」
出典:青空文庫