・・・そんなに泡の出るほどふんばらずとも、と当時たいへん滑稽に感じていた、その柔道の選手を想起したとたんに私は、ひどくわが身に侮辱を覚え、怒りにわななき、やめ! 私は腕をのばして遮二無二枝につかまった。思わず、けだもののような咆哮が腹の底から噴出・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・一年後ぼくはレギュラーになり、二年後、第十回オリンピック選手としてアメリカに行きました。当時二十歳、六尺、十九貫五百、紅顔の少年であります。ボートは大変下手でした。先輩ばかりでちいさくなっていました。往復の船中の恋愛、帰ってきたぼくは歓迎会・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ある大学から、ピンポンのたくみなる選手がひとり出るとその大学から毎年、つぎつぎとピンポンの名手があらわれる。伝統のちからであると世人は言う。ピンポン大学の学生であるという矜持が、その不思議の現象の一誘因となって居るのである。伝統とは、自信の・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・大学の野球の選手で新聞にしょっちゅう名前が出ていたではないか。弟もいま、大学へはいっている。俺は、感ずるところがあって、百姓になったが、しかし、兄でも弟でも、いまではこの俺に頭があがらん。なにせ、東京は食糧が無いんで、兄は大学を出て課長をし・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・、私は、どうなってもいいのだ、と流石に涙あふれて、私をだますなら、きっと巧みにだまして下さい、完璧にだまして下さい、私はもっともっとだまされたい、もっともっと苦しみたい、世界中の弱き女性の、私は苦悩の選手です、などすこし異様のことさえ口走り・・・ 太宰治 「創生記」
・・・自分は拳闘については全くの素人で試合の規則もテクニックもいっさい知らないのであるが、自分が最初からこの映画でおもしろいと思ったのはこの二人の選手の著しくちがった個性と個性の対照であった。 カルネラは昔の力士の大砲を思い出させるような偉大・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 兵隊の尿の中から、回春の霊薬が析出されるそうであるが、映画で勇ましい軍隊の行進や戦闘の光景を見たり、またオリンピック選手やボクサーの活躍を、見たりしているといじけた年寄り気分がどこかへ吹っ飛んでしまってたとえ一時でも若返った気分になる・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・眠っているように思っている植物が怪獣のごとくあばれ回ったり、世界的拳闘選手が芋虫のように蠢動するのを見ることもできるのである。 時間の尺度の変更は、同時に、時間を含むあらゆる量の変更を招致することはもちろんである。まず第一に速度であるが・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・たとえばド・ヴァレーズ伯爵がけしからぬ犯行の現場から下着のままで街頭に飛び出し、おりから通りかかったマラソン競走の中に紛れ込み、店先の値段札を胸におっつけて選手の番号に擬するような、卑猥であくどい茶番はヤンキー王国の顧客にはぜひとも必要なも・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・この僧正にアメリカ野球選手との試合を記録させなかったのは残念である。 新東京の街路や河岸に立って、ありとあらゆる異種の要素の細かい切片の入り乱れた光景を見るときに、私は自然に日本帝国の地質図を思い出す。いろいろの時代のいろいろの火成岩や・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
出典:青空文庫