・・・いや、この時半ば怨ずる如く、斜に彼を見た勝美夫人の眼が、余りに露骨な艶かしさを裏切っているように思われたのは、果して私の邪推ばかりだったでしょうか。とにかく私はこの短い応答の間に、彼等二人の平生が稲妻のように閃くのを、感じない訳には行かなか・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・その不平が高じた所から、邪推もこの頃廻すようになっている。 ある夏の午後、お松さんの持ち場の卓子にいた外国語学校の生徒らしいのが、巻煙草を一本啣えながら、燐寸の火をその先へ移そうとした。所が生憎その隣の卓子では、煽風機が勢いよく廻ってい・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・「そりゃ邪推じゃがなお主」と笠井は口早にそこに来合せた仔細と、丁度いい機会だから折入って頼む事がある旨をいいだした。仁右衛門は卑下して出た笠井にちょっと興味を感じて胸倉から手を離して、閾に腰をすえた。暗闇の中でも、笠井が眼をきょとん・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ それに、吉弥が馬鹿だから、のろけ半分に出たことでもあろう、女優になって、僕に貢ぐのだと語ったのが、土地の人々の邪推を引き起し、僕はかの女を使って土地の人々の金をしぼり取ったというように思われた。それには、青木と田島とが、失望の恨みから・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・あれはまったく君の邪推というものだよ。君はそんなことのできるような性質の人ではないじゃないの」私はいちいち事実を挙げて弁解しなければならなかった。「そんならいいが、もし君が少しでもそんな失敬なことを考えているんだと、僕はたった今からでも・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・ちょうど真蔵が窓から見下した時は土竈炭を袂に入れ佐倉炭を前掛に包んで左の手で圧え、更に一個取ろうとするところであったが、元来性質の良い邪推などの無い旦那だから多分気が附かなかっただろうと信じた。けれど夕方になってどうしても水を汲みにゆく気に・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・丸文字屋の内儀は邪推深い、剛慾な女だ。番頭や小僧から買うよりも、内儀から買う方が高い、これは、村中に知れ渡っていることである。その内儀が火鉢の傍に坐りこんでじろ/\番頭や小僧の方を見ている。金をごま化しやしないか見ているのだ。 番頭のと・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・どうしても君が嫌だと云えば、致し方がないけれども、こういう誤解や邪推に出発したことで君と喧嘩したりするのは、僕は嫌だ。僕が君を侮じょくしたと君は考えたらしいけれど兎に角、僕は君のあの原稿の極端なる軽べつにやられて昨夜は殆んど一睡もしなかった・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・であずかっている家に、三十七の義兄と三十四の姉が子供を二人も連れてどやどやと乗り込んで、そうしてその娘と遠方の若い海軍とをいい加減にだまして、いつのまにやらその家の財産にも云々、などと、まさかそれほど邪推するひとも有るまいが、何にしても、こ・・・ 太宰治 「薄明」
・・・俄かに博士の態度が変って行ったように――そういう嫌疑を持っている人間に邸に出入されては困るというように思っているらしく勇吉には邪推された。 勇吉はいても立ってもいられないような気がした。「貯金はすぐなくなって了うし……。」 勇吉・・・ 田山花袋 「トコヨゴヨミ」
出典:青空文庫