持てあます西瓜ひとつやひとり者 これはわたくしの駄句である。郊外に隠棲している友人が或年の夏小包郵便に托して大きな西瓜を一個饋ってくれたことがあった。その仕末にこまって、わたくしはこれを眺めながら覚えず口ずさんだのである。・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・となると勢い訪問が郵便になり、郵便が電報になり、その電報がまた電話になる理窟です。つまるところは人間生存上の必要上何か仕事をしなければならないのを、なろう事ならしないで用を足してそうして満足に生きていたいというわがままな了簡、と申しましょう・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
脚本作者ピエエル・オオビュルナンの給仕クレマンが、主人の書斎の戸を大切そうに開いた。ちょうど堂守が寺院の扉を開くような工合である。そして郵便物を載せた銀盤を卓の一番端の処へ、注意してそっと置いた。この銀盤は偶然だが、実際あ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・しかし郵便を出してくれると聞いて、自分も起き直って、ようよう硯など取り出し、東京へやる電報を手紙の中へ封じてある人に頼んでやった。こういう際には電報をやるだけでもいくらかの心やりになるものだ。この夜また検疫官が来て、下痢症のものは悉く上陸さ・・・ 正岡子規 「病」
・・・そして桃いろの封筒へ入れて、岩手郡西根山、山男殿と上書きをして、三銭の切手をはって、スポンと郵便函へ投げ込みました。「ふん。こうさえしてしまえば、あとはむこうへ届こうが届くまいが、郵便屋の責任だ。」と先生はつぶやきました。 あっはっ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
十月二十五日。 いよいよモスクワ出立、出立、出発! 朝郵便局へお百度を踏んだ。あまり度々書留小包の窓口へ、見まがうかたなき日本の顔を差し出すので、黄色いボヤボヤの髪をした女局員が少しおこった声で、 ――もうあな・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・Heinrich von Stephan が警察国に生れて、巧に郵便の網を天下に布いてから、手紙の往復に不便はないはずではあるが、それは日を以て算し月を以て算する用弁の事である。一日の間の時を以て算する用弁を達するには、郵便は間に合わない。・・・ 森鴎外 「独身」
・・・雨垂れはいつまでも落ちていた。郵便脚夫は灸の姉の所へ重い良人の手紙を投げ込んだ。 夕暮れになると、またいつものように点燈夫が灸の家の門へ来た。献燈には新らしい油が注ぎ込まれた。梨の花は濡れ光った葉の中で白々と咲いていた。そして、点燈夫は・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・古びた自転車に乗って、郵便局から郵便物を受け取って帰る事もある。 エルリングの体は筋肉が善く発達している。その幅の広い両肩の上には、哲学者のような頭が乗っている。たっぷりある、半明色の髪に少し白髪が交って、波を打って、立派な額を囲んでい・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・ 初めての郵便車が停車場へ向いて行くのに出逢って、フィンクは始めて立ち留まった。そして帽を脱いだ。 頭の上の菩提樹の古木の枝が、静かに朝風に戦いでいる。そして幾つともなく、小さい、冷たい花をフィンクの額に吹き落すのである。・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫