・・・出生の地を、その家の屋号にするというのは、之は、なかなかの野心の証拠なのであります。郷土の名を、わが空拳にて日本全国にひろめ、その郷土の名誉を一身に荷わんとする意気込みが無ければ、とても自身の生れた所の名を、家の屋号になど、出来るものではあ・・・ 太宰治 「砂子屋」
・・・故郷の新聞社から、郷土出身の芸術家として、招待を受けるということは、これは、衣錦還郷の一種なのではあるまいか。ずいぶん、名誉なことなのでは無いか。名士、というわけのことになるのかも知れぬ、と思えば卒然、狼狽せずには居られなかったのである。沢・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・しかしとにかくこんな西洋くさい遊戯が明治二十年代の土佐の田舎の子供の間に行なわれていたということは郷土文化史的にも多少の意味があるかもしれない。それよりも自分の生涯の上にはこんな事件が思いのほかに大きな影響を及ぼしたのかもしれない。 そ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・の一つの相を表現したものである以上、人の句を鑑賞する場合における評価が作者と鑑賞者との郷土や年齢やの函数で与えられるのは当然であろう。これは何も俳句に限ったことでもないと思われる。「おとろえや歯に食いあてし海苔の砂」などという句でも若いころ・・・ 寺田寅彦 「思い出草」
・・・この現象については、最近に、土佐郷土史の権威として知られた杜山居士寺石正路氏が雑誌「土佐史壇」第十七号に「郷土史断片」その三〇として記載されたものがある。「昔はだいぶ評判の事であったが、このごろは全くその沙汰がない、根拠の無き話かと思えば、・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・この事実は一方では地震や火山の多いこととも関係するが、一方ではまた日本の風景の多種多様なことや、ひいてはまた国々の郷土的色彩の変化の多いこととも連関していると思われる。われわれの祖先から住み古したこの国土の地質自身からがすでにあらゆる世界じ・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・という売声には色々な郷土伝説的の追憶も結び付いている。それから十市の作さんという楊梅売りのとぼけたようで如才のない人物が昔のわが家の台所を背景として追憶の舞台に活躍するのである。 大正四、五年頃、今は故人となった佐野静雄博士から伊豆伊東・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・この点では論語や聖書も同じことであるのみならず、こういう郷土的色彩の濃厚な怪談やおどけ話の奧の方にはわれらとは切っても切れない祖先の生活や思想で彩られた背景がはっきりと眺められるのであるから、こういう話を繰返し聞かされている間にわれわれの五・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・この事実がもし我郷土の研究者に何かの暗示を与える端緒ともならば大幸である。 寺田寅彦 「土佐の地名」
・・・ このようにわれらの郷土日本においては脚下の大地は一方においては深き慈愛をもってわれわれを保育する「母なる土地」であると同時に、またしばしば刑罰の鞭をふるってわれわれのとかく遊惰に流れやすい心を引き緊める「厳父」としての役割をも勤めるの・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
出典:青空文庫