・・・彼は僕の実家にいる牛乳配達の一人だった。同時にまた今日ほどたくさんいない社会主義者の一人だった。僕はこのヒサイダさんに社会主義の信条を教えてもらった。それは僕の血肉には幸か不幸か滲み入らなかった。が、日露戦争中の非戦論者に悪意を持たなかった・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ 子供たちの群れからはすかいにあたる向こう側の、格子戸立ての平家の軒さきに、牛乳の配達車が一台置いてあった。水色のペンキで塗りつぶした箱の横腹に、「精乳社」と毒々しい赤色で書いてあるのが眼を牽いたので、彼は急ぎながらも、毒々しい箱の字を・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・……返事を出す端書が買えないんですから、配達をさせるなぞは思いもよらず……急いで取りに行く。この使の小僧ですが、二日ばかりというもの、かたまったものは、漬菜の切れはし、黒豆一粒入っていません。ほんとうのひもじさは、話では言切れない、あなた方・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 雪の難――荷担夫、郵便配達の人たち、その昔は数多の旅客も――これからさしかかって越えようとする峠路で、しばしば命を殞したのでありますから、いずれその霊を祭ったのであろう、と大空の雲、重る山、続く巓、聳ゆる峰を見るにつけて、凄じき大濤の・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・街道の景色、また格別でございまして、今は駅路の鈴の音こそ聞えませぬが、馬、車、処の人々、本願寺詣の行者の類、これに豆腐屋、魚屋、郵便配達などが交って往来引きも切らず、「早稲の香や別け入る右は有磯海」という芭蕉の句も、この辺という名代の荒海、・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ そして、その日の昼過ぎには、小包は宛名の家へ配達されました。「田舎から、小包がきたよ。」と、子供たちは、大きな声を出して喜び、躍り上がりました。「なにがきたのだろうね。きっとおもちだろうよ。」と、母親は、小包の縄を解いて、箱の・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・ ある新聞社にいる知人から毎日寄贈してくれる新聞がこの越して来てから二三日届かなかったので、私はきっと配達人が此家が分らない為であろうと思った。しかし私には無代価で送ってもらっているということが、わざ/\ハガキを本社に出して転居を報ずる・・・ 小川未明 「ある日の午後」
・・・ ところへ、「郵便!」と言う声が店に聞えて立ったが、自分の泣き顔に気がついて出るのはためらった。「吉田さん、郵便!」「はい」「ここへ置きますよ」 配達夫の立ち去った後で、お光はようやく店に出て、框際の端書を拾って茶の間へ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・が、近頃の郵便局は深夜配達をしてくれる程親切ではない。してみれば押込強盗かも知れない。この界隈はまだ追剥や強盗の噂も聴かないが、年の暮と共に到頭やって来たのだろうか。そう思いながら、足袋のコハゼを外したままの恰好で、玄関へ降りて行った。・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 合格の通知が郵便で配達されたのは、三日のちの朝であった。ところが、その通知と一緒に、田中喜美子様と、亡き姉に宛てた手紙が、ひょっこり配達されていた。アパートの中庭では、もう木犀の花が匂っていた。 死んでしまった姉に思いがけなく手紙・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
出典:青空文庫