・・・学生が郵便配達をつかまえて、ビールの息とシガーの煙を吹きかけながら、ことしもまたうんと書留を持って来てくれよなどと言って困らせている。ふざけて抱き合う拍子にくわえたシガーが泥の上へ落ちたのを拾ってはまた吸っています。プラッツのすみのほうに銅・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ 小野は三吉より三つ年上で、郵便配達夫、煙草職工、中年から文選工になった男で、小学三年までで、図書館で独学し、大正七年の米暴動の年に、津田や三吉をひきいて「熊本文芸思想青年会」を独自に起した、地方には珍らしい人物であった。三吉は彼にクロ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・と題するものが収載せられていたので、之がため僕は九月二十九日の朝、突然博文館から配達証明郵便を以て、改造社全集本の配布禁止の履行と併せて、版権侵害に対する賠償金の支払を要求せられることになった。改造社の主人山本さんが僕と博文館との間に立って・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・赤塗の自転車に乗った電報配達人が綱を綟っている男女の姿を見て、道をきいていたが、分らないらしい様子で、それなり元きた彼方へと走って行った。 空はいつの間にか暮れはじめた。わたくしが電報配達人の行衛を見送るかなたに、初て荒川放水路の堤防ら・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・牛肉配達などが日曜になるとシルクハットでフロックコートなどを着て澄している。しかし一般に人気が善い。我輩などを捕えて悪口をついたり罵ったりするものは一人もおらん。ふり向いても見ない。当地では万事鷹揚に平気にしているのが紳士の資格の一つとなっ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・新聞や牛乳の配達や、船員の朝帰りが、時々、私たちと行き違った。 何かの、パンだとか、魚の切身だとか、巴焼だとかの包み紙の、古新聞が、風に捲かれて、人気の薄い街を駆け抜けた。 雨が来そうであった。 私の胸の中では、毒蛇が鎌首を投げ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・ 一人ほか居ないこの村がかりの郵便配達が、さぞ可笑しい顔をしてあの一本道をよみよみ持って来た事だろうと思うと、他人に知られずにすむべき内輪の恥がパッと世間に拡がった様な気がして、居ても立っても居られない様になった。 早速、その返事の・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・これさえめずらしいのに、その自由が、新聞のゆくところにあるとすれば、大新聞は幾百万と印刷され、朝ごとに日本全地方に配達されている。 日本のいたるところにそれほど自由があって、自由な人々の戸口の前に自由な新聞がくばられてでもいるような思い・・・ 宮本百合子 「ジャーナリズムの航路」
・・・その上厳めしい配達の為方が殺風景である。そういう時には走使が欲しいに違ない。会杜の徽章の附いた帽を被って、辻々に立っていて、手紙を市内へ届けることでも、途中で買って邪魔になるものを自宅へ持って帰らせる事でも、何でも受け合うのが伝便である。手・・・ 森鴎外 「独身」
・・・郵便配達からは小言の食いづめにあった。それからは固く釘で打ちつけたが、それでも門標はすぐ剥がされた。この小事件は当時梶一家の神経を悩ましていた。それだけ、今ごろ標札のかわりに色紙を欲しがる青年の戯れに実感がこもり、梶には、他人事ではない直接・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫