・・・聞きゃ一人息子が兵隊になってるというじゃねえか、おおかた戦争にも出るんだろう、そんなことなら黙っていないで、どしどし言い籠めて隙あ潰さした埋め合わせに、酒代でもふんだくってやればいいに」「ええ、めっそうな、しかし申しわけのためばかりに、・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・当時、一升の酒代ぐらい知れたものであった。灘の菊正で一升二円もしなかった。 彼が借金を残したのは、阿呆なぐらいお人善しで、ひとに欺されつづけていたそのためであった。しかし、私は父の口から、「おれはお人善しだ」 という言葉をきいた・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・十円の金のほとんど半分は彼の酒代になった。その結果はちょいちょい耕太郎が無心の手紙を持たされて、一里の道を老父の処へ使いにやらされた。……継母が畑へ出た留守を覘うのであった。それでも老父は、「耕太郎可愛さにつき金一円さしあげ候、以来は申・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・四拾円も、その日のうちにかれの酒代になるらしい。この辺にはまだ、闇の酒があちこちにあるのである。 かれのあととりの息子は、戦地へ行ってまだ帰って来ない。長女は北津軽のこの町の桶屋に嫁いでいる。焼かれる前は、かれは末娘とふたりで青森に住ん・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・「お父さんの一晩のお酒代にも足りないのに、大金だなんて、……」 母もさすがに呆れたのか、笑いながら陳弁するには、お父さんのお留守のあいだに雑誌社のかたが原稿料をとどけて下さったので、この折と吉祥寺へ行って、思い切って買ってしまいまし・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・ 私のやっかいになったポツオリの案内者は別れぎわにさらに余分の酒代をねだって気長く付きまとって来た。それを我慢して相手にしないでいたら、最後の捨て言葉に「日本人はもっとゼントルマンかと思った」と言うから、私も「イタリア人はもっとゼン・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・つりは酒代だ。」と云いながらいくらだかわけのわからない大きな札を一枚出してすたすた玄関にのぼりました。みんなははあっとおじぎをしました。山男もしずかにおじぎを返しながら、「いやこんにちは。お招きにあずかりまして大へん恐縮です。」と云いま・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・親の酒代のために節操を棄て霊を離るる女が孝子であるならば吾人はむしろ「孝」を呪う。 八犬伝は「浜路が信乃のもとへ忍ぶ」個所などを除く時、トルストイの芸術観に適合する作物となるそうである。現代徳育の理想もまた八犬士の境地である。この理想は・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫