・・・と云う宿屋の酒場。酒場の隅には王子がパンを噛じっている。王子のほかにも客が七八人、――これは皆村の農夫らしい。宿屋の主人 いよいよ王女の御婚礼があるそうだね。第一の農夫 そう云う話だ。なんでも御壻になる人は、黒ん坊の王様だと云う・・・ 芥川竜之介 「三つの宝」
・・・それも、わけがありましてね、私が今夜、――その酒場へ、槍、鉄棒で押掛けたといいました。やっぱりその事でおかきなすったんだけれどもね。まあ、お目にかけますわ……お待なさい。ここは、廊下で、途中だし、下へ出た処で、往来と……ああ、ちょっとこの部・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・何、何、なぜ、それほどの容色で、酒場へ出なかった。とおっしゃるか? それは困る、どうも弱ったな。一樹でも分るまい。なくなった、みどり屋のお雪さんに……お聞き下さい。昭和五年九月 泉鏡花 「木の子説法」
・・・――どうせ隙だからいつまでも待とうと云うのを――そういってね、一旦運転手に分れた――こっちの町尽頭の、茶店……酒場か。……ざっとまあ、饂飩屋だ。それからは、見た目にも道わるで、無理に自動車を通した処で、歩行くより難儀らしいから下りたんですが・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・けれども家業柄――家業は、土地の東の廓で――近頃は酒場か、カフェーの経営だと、話すのに幅が利くが、困った事にはお茶屋、いわゆるおん待合だから、ちと申憎い、が、仕方がない。それだけにまた娘の、世馴れて、人見知りをしない様子は、以下の挙動で追々・・・ 泉鏡花 「古狢」
春先になれば、古い疵痕に痛みを覚える如く、軟かな風が面を吹いて廻ると、胸の底に遠い記憶が甦えるのであります。 まだ若かった私は、酒場の堅い腰掛の端にかけて、暖簾の隙間から、街頭に紅塵を上げて走る風に眼を遣りながら独り杯を含んでいま・・・ 小川未明 「春風遍し」
・・・また、酒場では、いろいろの人々が集まって、唄をうたったり、酒を飲んだりして笑っていました。その店頭のガラス戸にも、月の光はさしています。また、港にとまっている船の旗の揺れている、ほばしらの上にも月の光は当たっています。波は、昔からの、物憂い・・・ 小川未明 「港に着いた黒んぼ」
・・・何しろ世を挙げて宣伝の時代、ある大きな酒場では私をボーイに雇いたいと言ってきました。うっかり応じたら、私はまた新聞種になって、恥を上塗ったところでしたが、さすがに応じなかった。ある女は結婚したいと手紙を寄越した。私と境遇が似ているというので・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・の原稿も、復員軍人の話も、酒場のマダムも、あの中に出て来る「私」もみんな虚構だと、くどくど説明したが、その大学教授は納得しないのである。私は業を煮やして、あの小説は嘘を書いただけでなく、どこまで小説の中で嘘がつけるかという、嘘の可能性を試し・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・交潤社は四条通と木屋町通の角にある地下室の酒場で、撮影所の連中や贅沢な学生達が行く、京都ではまず高級な酒場だったし、しかも一代はそこのナンバーワンだったから、寺田のような風采の上らぬ律義者の中学教師が一代を細君にしたと聴いて、驚かぬ者はなか・・・ 織田作之助 「競馬」
出典:青空文庫