・・・むしろ不快な悲しいような心持ちがした。酒宴の席などでいろいろ滑稽な隠し芸などをやって笑い興じているのを見ると、むしろ恐ろしいような物すごいような気がするばかりで、とてもいっしょになって笑う気になれなかった。もっともこれは単にペシミストの傾向・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・当時都下の温泉旅館と称するものは旅客の宿泊する処ではなくして、都人の来って酒宴を張り或は遊冶郎の窃に芸妓矢場女の如き者を拉して来る処で、市中繁華の街を離れて稍幽静なる地区には必温泉場なるものがあった。則深川仲町には某楼があり、駒込追分には草・・・ 永井荷風 「上野」
・・・その家へある日私の友達を十人ばかり招いて酒宴を催したのである。先ず縁側に呉座を敷いた。四畳半へは毛布を敷いた。そして真中に食卓を据えた。長火鉢は台所へ運んで、お袋と姉とは台所へ退却した。そして境界に葭戸を立てた。二畳に阿久がいて、お銚子・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・ 娼妓もまた気の隔けない馴染みのほかは客を断り、思い思いに酒宴を開く。お職女郎の室は無論であるが、顔の古い幅の利く女郎の室には、四五人ずつ仲のよい同士が集ッて、下戸上戸飲んだり食ッたりしている。 小万はお職ではあり、顔も古ければ幅も・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・を携えて帰り、中津へ移住する江戸の定府藩士は妻子と共に大都会の軽便流を田舎藩地の中心に排列するの勢なれば、すでに惰弱なる田舎の士族は、あたかもこれに眩惑して、ますます華美軽薄の風に移り、およそ中津にて酒宴遊興の盛なる、古来特にこの時を以て最・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・前夜の酒宴、深更に及びて、今朝の眠り、八時を過ぎ、床の内より子供を呼び起こして学校に行くを促すも、子供はその深切に感ずることなかるべし。妓楼酒店の帰りにいささかの土産を携えて子供を悦ばしめんとするも、子供はその至情に感ずるよりも、かえって土・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・それから老若打ち寄って酒宴をした。それから老人や女は自殺し、幼いものはてんでに刺し殺した。それから庭に大きい穴を掘って死骸を埋めた。あとに残ったのは究竟の若者ばかりである。弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖を取り払った・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・下島は金の催促に来たのではないが、自分の用立てた金で買った刀の披露をするのに自分を招かぬのを不平に思って、わざと酒宴の最中に尋ねて来たのである。 下島は二言三言伊織と言い合っているうちに、とうとうこう云う事を言った。「刀は御奉公のために・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫