・・・女の柔かい肉体が血と、酸っぱい臭いを発しつゝころがっていた。 井村は恐る/\そこらへんを、四ツン這いになってさぐりまわった。 ……暫らくして、カンテラと、慌てた人声が背後に近づいて来た。ほかの坑道にいた坑夫達がドエライ震動と、轟音に・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・ そうしてあの人を待合室から押し出して、私は、少し落ちつき、またベンチに腰をおろし酸っぱいように眼をつぶりました。はたから見ると、私は、きっとキザに気取って、おろかしい瞑想にふけっているばあちゃん女史に見えるでしょうが、でも、私、こうし・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・ ドッドド ドドウド ドドウド ドドウ、 甘いざくろも吹き飛ばせ 酸っぱいざくろも吹き飛ばせ ホラね、ざくろの実がばたばた落ちた。大工はあわてたような変なかたちをしてるんだ。僕はもう笑って笑って走った。 電信ばしらの針金・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・四月号の赤線のところだけをよって貪るように目を通した。酸っぱいような口つきをし、「…………」 スリッパを穿いた膝がしらをすぼめて雑誌をかえした。清水は、放っておいたと云うが、「働く婦人」は一月創刊号から毎月発禁つづきである。しかも三・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・「――酸っぱい?」「飲んで御覧」 私は、彼女のしたとおりコップに調合し、始め一口、そっとなめた。それから、ちびちび飲み、やがて喉一杯に飲んで、白状した。「美味しいわ、これは案外」 嫌いな私が先棒で、二三本あったカルピスが・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・そのときのカルピスは、酸っぱい気がした。 それから又余程たって、どこかの家でかの子さんと話したことがあった。同じ芝白金だったのか、そうでなかったのかよく分らない。かの子さんの自宅で会った最後は、もうやがて六七年も前のことになろうか。かの・・・ 宮本百合子 「作品の血脈」
・・・果物では、ネーブルのような酸っぱいものでないかぎり大抵のものはいただきます。何に依らずわたくしは酸っぱいものを好みません、といっても、おすしとか酢の物なぞはたべますが、つまりわたくしのは、どぎつい酸っぱさを含んだものがたべられないのです。・・・ 宮本百合子 「身辺打明けの記」
・・・この作者にかぎらず、なにしろ口の中に酸っぱい水がわくような、作品が氾濫しているのですから。 『新日本文学』の業績と課題 さて、このように錯綜し、紛糾している今日の文学の動向の間にあって、『新日本文学』はこの一年・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・大抵は白い様な髪を切りさげて体からいつも酸っぱい様な臭いを出して居るが、それは必(して胸を悪くさせるものではなく、そのお婆さん特有の臭いとして小さい子供達や、飼いものがなつかしがるものである。笑う時にはいつもいつも頭を左の肩の上にのせて、手・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・石川の胸に、三年前幸雄が力ずくで病院に連れて行かれたのを見たときと同じ、酸っぱいような鼻の髄が痛いような感情が甦った。奥さんは手元にあるだけの株券、公債、銀行通帳、宝石の入った装身具類などを悉く簀子の処へ持ち出し、「これだけ財産があるん・・・ 宮本百合子 「牡丹」
出典:青空文庫