・・・自己を下賤醜悪にしてまで存在を続けて行く必要が何処にあろう。潔よく落花の雪となって消るに如くはない。何に限らず正当なる権利を正当なりなぞと主張する如きは聞いた風な屁理窟を楯にするようで、実に三百代言的、新聞屋的、田舎議員的ではないか。それよ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・われらをして、まずこの神聖なる過去の霊場より、不体裁なる種々の記念碑、醜悪なる銅像等凡て新しき時代が建設したる劣等にして不真面目なる美術を駆逐し、そしてわれらをして永久に祖先の残した偉大なる芸術にのみ恍惚たらしめよ。自分は断言する。われらの・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・男子が醜悪を犯しながら其罪を妻に分つとは陰険も亦甚だし。女大学の毒筆与りて力ありと言う可し。第三婬乱なれば去ると言う。我日本国に於て古来今に至るまで男子と女子と孰れが婬乱なるや。其婬心の深浅厚薄は姑く擱き、婬乱の実を逞うする者は男子に多きか・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・異教席のやつらときたら、実際どうも醜悪ですね。」「全くです。」私はとうとう吹き出しました。実際異教席の連中ときたらどれもみんな醜悪だったのです。 俄かに澄み切った電鈴の音が式場一杯鳴りわたりました。 拍手が嵐のように起りました。・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・解答者は、たぶん山田わか女史であったと覚えているが、女史はその青年の都会へのあこがれを丁寧に訓戒し、都会生活の醜悪であることを話し、あなたの使命は東京へ出ることでなくて、村に残り、自然の美を理解して新鮮な空気をたのしみながら、自分の周囲に清・・・ 宮本百合子 「今日の文化の諸問題」
・・・愚劣なもの、醜悪卑劣なもの、同時に賢明、純良、壮大であり横溢的で、すべての現象が、現世界の全保有量の過半をしめるアメリカ的社会の上に満開している。その失業やストライキや住宅難もともに。ソヴェト作家シーモノフは、このアメリカの巨大な有機体のな・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・如何に醜悪な罪証も寛大な焔が押し包んで焼き消して呉れる。心に遺る罪証の陰気な溜息を恐れない為には、雄々しい仲間をどんと殖して並ばせる。――だが、地の神が衣の裾を一ゆすりする偶然から、俺のこぼした種一粒が、斯那塩梅に芽をふき出そうとは思わなか・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・本能は存外醜悪でない。 箸のすばしこい本能の人は娘の親ではない。親でないのに、たまさか箸の運動に娘が成功しても叱りはしない。 人は猿よりも進化している。 四本の箸は、すばしこくなっている男の手と、すばしこくなろうとしている娘の手・・・ 森鴎外 「牛鍋」
・・・それは丁度、彼の田虫が彼を幸運の絶頂から引き摺り落すべき醜悪な平民の体臭を、彼の腹から嗅ぎつけたかのようであった。四 千八百四年、パリーの春は深まっていった。そうして、ロシアの大平原からは氷が溶けた。 或る日、ナポレオン・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・五 自然をただ醜悪に観察して喜んでいた作家たちが、近ごろ何となく認識論的な、あるいは倫理学的な思想を、その作品中に混ずるに至ったことは、新しい時代が彼らに及ぼした影響としてかなり我々の興味をひく。しかし彼らは、彼ら自身の思索・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫