・・・ お千代は北の幸谷なる里方へ帰り、省作とおとよは湖畔の一旅亭に投宿したのである。 首を振ることもできないように、身にさし迫った苦しき問題に悩みつつあった二人が、その悩みを忘れてここに一夕の緩和を得た。嵐を免れて港に入りし船のごとく、・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・病身な未亡人は願済の上で、里方桜井須磨右衛門の家で保養することになった。 さていよいよ九郎右衛門、宇平の二人が門出をしようとしたが、二人共敵の顔を識らない。人相書だけをたよりにするのは、いかにも心細いので、口入宿の富士屋や、請宿の若狭屋・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・その次に太郎兵衛が娘をよめに出す覚悟で、平野町の女房の里方から、赤子のうちにもらい受けた、長太郎という十二歳の男子がある。その次にまた生まれた太郎兵衛の娘は、とくと言って八歳になる。最後に太郎兵衛の始めて設けた男子の初五郎がいて、これが六歳・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・庄兵衛は五節句だと言っては、里方から物をもらい、子供の七五三の祝いだと言っては、里方から子供に衣類をもらうのでさえ、心苦しく思っているのだから、暮らしの穴をうめてもらったのに気がついては、いい顔はしない。格別平和を破るような事のない羽田の家・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・川添家は同じ清武村の大字今泉、小字岡にある翁の夫人の里方で、そこに仲平の従妹が二人ある。妹娘の佐代は十六で、三十男の仲平がよめとしては若過ぎる。それに器量よしという評判の子で、若者どもの間では「岡の小町」と呼んでいるそうである。どうも仲平と・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫