・・・素破と云えばすぐ辷り込めるよう重心を片足において目をくばって待機しているのである。 そうやって待っているのが男ばかりなのも一つの光景であると思う。屈強な男ばかりがつめかけるのである。 女はつつましくうちからもって来るお弁当を使うのだ・・・ 宮本百合子 「列のこころ」
・・・だが感覚のみにその重心を傾けた文学は今に滅びるにちがいない。認識活動の本態は感覚ではないからだ。だが、認識活動の触発する質料は感覚である。感覚の消滅したがごとき認識活動はその自らなる力なき形式的法則性故に、忽ち文学活動に於ては圧倒されるにち・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・『地下一尺集』に収められた警抜な諸篇は、生の重心をこの「享楽」に置いた作者の人格を、きわめてよく反映している。彼の描く人と自然とは、常に彼の「享楽」の光に照らされて、一種独特な釣合をもって現われてくる。非常に広濶な、偏執のない心が、あら・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
・・・私はここに先生の人格の重心があるのではないかと思う。 正義に対する情熱、愛より「私」を去ろうとする努力、――これをほかにして先生の人格は考えられない。愛のうち自然的に最も強く存在する自愛に対しても、先生は「私」を許さなかった。そのために・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫