・・・彼は野生になったティモシーの茎を抜き取って、その根もとのやわらかい甘味を噛みしめなどしながら父のあとに続いた。そして彼の後ろから来る小作人たちのささやきのような会話に耳を傾けた。「夏作があんなだに、秋作がこれじゃ困ったもんだ」「不作・・・ 有島武郎 「親子」
・・・と、中でも、もっとも野生を有していた、Kがんが、さっそくこの説に賛成しました。「幾百里か、飛んでいって、それが無いといって帰ってくることができるだろうか?」と、Bがんが、むしろ、反対の意見をもらしました。「そのことだ。ただ、この頼り・・・ 小川未明 「がん」
・・・丘のすそをめぐる萱の穂は白銀のごとくひかり、その間から武蔵野にはあまり多くない櫨の野生がその真紅の葉を点出している。『こんな錯雑した色は困るだろうねエ』と自分は小さな坂を上りながら頭上の林を仰いで言った。『そうですね、しかしかえって・・・ 国木田独歩 「小春」
都に程近き田舎に年わかき詩人住みけり。家は小高き丘の麓にありて、その庭は家にふさわしからず広く清き流れ丘の木立ちより走り出でてこれを貫き過ぐ。木々は野生えのままに育ち、春は梅桜乱れ咲き、夏は緑陰深く繁りて小川の水も暗く、秋・・・ 国木田独歩 「星」
・・・山中に住む野兎ならば、あるいは猟夫の油断ならざる所以のものを知っていて、之を敬遠するのも亦当然と考えられるのであるが、まさか博士は、わざわざ山中深くわけいり、野生の兎を汗だくで捕獲し、以て実験に供したわけでは無いと思う。病院にて飼養されて在・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・そして単に野生の木の実を拾うような「観測」の縄張りを破って、「実験」の広い田野をそういう道具で耕し始めてからの事である。ただの「人間の言語」だけであった昔の自然哲学は、これらの道具の掘り出した「自然自身の言語」によって内容の普遍性を増して行・・・ 寺田寅彦 「言語と道具」
・・・道ばたを見るとそら色の朝顔が野生していた。…… 美しい緑の草原の中をまっかな点が動いて行くと思ったらインド人の頭巾であった。……町の並み木の影でシナの女がかわいい西洋人の子供を遊ばしている。その隣では仏桑花の燃ゆるように咲き乱れた門口で・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ この四つ目垣には野生の白薔薇をからませてあるが、夏が来ると、これに一面に朝顔や花豆を這わせる。その上に自然に生える烏瓜も搦んで、ほとんど隙間のないくらいに色々の葉が密生する。朝戸をあけると赤、紺、水色、柿色さまざまの朝顔が咲き揃ってい・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・そうして、野生の鳥獣が地震や風雨に堪えるようにこれら未開の民もまた年々歳々の天変を案外楽にしのいで種族を維持して来たに相違ない。そうして食物も衣服も住居もめいめいが自身の労力によって獲得するのであるから、天災による損害は結局各個人めいめいの・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・山牛蒡の葉と茎とその実との霜に染められた臙脂の色のうつくしさは、去年の秋わたくしの初めて見たものであった。野生の萩や撫子の花も、心して歩けば松の茂った木蔭の笹藪の中にも折々見ることができる。茅葺の屋根はまだ随処に残っていて、住む人は井戸の水・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫