・・・ 目ばかり光って、碧額の金字を仰いだと思うと、拍手のかわりに――片手は利かない――痩せた胸を三度打った。「願いまっしゅ。……お晩でしゅ。」 と、きゃきゃと透る、しかし、あわれな声して、地に頭を摺りつけた。「願いまっしゅ、お願・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ その紺地に、清く、さらさらと装上った、一行金字、一行銀書の経である。 俗に銀線に触るるなどと言うのは、こうした心持かも知れない。尊い文字は、掌に一字ずつ幽に響いた。私は一拝した。「清衡朝臣の奉供、一切経のうちであります――時価・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・と黒と柿色の配合が、全体に色のない場末の町とて殊更強く人目を牽く。自分は深川に名高い不動の社であると、直様思返してその方へ曲った。 細い溝にかかった石橋を前にして、「内陣、新吉原講」と金字で書いた鉄門をはいると、真直な敷石道の左右に並ぶ・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・道後の旅店なんかは三津の浜の艀の着く処へ金字の大広告をする位でなくちゃいかんヨ。も一歩進めて、宇品の埠頭に道後旅館の案内がある位でなくちゃだめだ。松山人は実に商売が下手でいかん。」「なるほどこりゃ御城山に登る新道だナ。男も女も馬鹿に沢山・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・またそれらのはなしが金字の厚い何冊もの百科辞典にあるようなしっかりしたつかまえどこのあるものかそれとも風や波といっしょに次から次と移って消えて行くものかそれも私にはわかりません。ただそこから風や草穂のいい性質があなたがたのこころにうつって見・・・ 宮沢賢治 「サガレンと八月」
・・・がっしりとした門にソヴェト同盟の国標、鎚と鎌をぶっちがえにしたものを麦束でとりかこんだ標がかかげてあり、その上に、ドン国立煙草工場と金字で書いてある。門衛がいるが、一向意地わるそうでもないし、うたぐり深い目つきもしていない。「受付はどこ・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・という文句が金字で打たれている。 今から十七年前、帝政ロシアの資本家・地主と僧侶の支配下のロシアで、勤労大衆のために中等教育施設がどんなものだったかは次の表を見ても明かだ。一九一四年度ロシアの中学校、実務学校、予備学校における学・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・当山は勅願の寺院で、三門には勅額をかけ、七重の塔には宸翰金字の経文が蔵めてある。ここで狼藉を働かれると、国守は検校の責めを問われるのじゃ。また総本山東大寺に訴えたら、都からどのような御沙汰があろうも知れぬ。そこをよう思うてみて、早う引き取ら・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・薄暗い箱から、背革に記してある金字が光を放っている。私は首を屈めて金字を読もうとした。「Meyer の小ですよ」と、F君が云った。「そうか。ひどく立派な本になったね。それに僕の持っているのは二冊物だが。」「それは古いのです。これ・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫