・・・僕はもう一度人目に見えない苦しみの中に落ちこむのを恐れ、銀貨を一枚投げ出すが早いか、そうそうこのカッフェを出ようとした。「もし、もし、二十銭頂きますが、……」 僕の投げ出したのは銅貨だった。 僕は屈辱を感じながら、ひとり往来を歩・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・『銀貨』と云う小説でしょう。ありますよ。」「どうです。価値は。」「駄目ですな。何しろこの創作の動機が、人生のくだらぬ発見だそうですからな。そしておまけに、早く大人がって通がりそうなトーンが、作全体を低級な卑しいものにしていると書いて・・・ 芥川竜之介 「MENSURA ZOILI」
・・・川森は財布から五十銭銀貨を出してそれを妻の手に渡した。何しろ帳場につけとどけをして置かないと万事に損が行くから今夜にも酒を買って挨拶に行くがいいし、プラオなら自分の所のものを借してやるといっていた。仁右衛門は川森の言葉を聞きながら帳場の姿を・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・で、薄眠りをしている、一段高い帳場の前へ、わざと澄ました顔して、黙って金箱から、ずらりと掴出して渡すのが、掌が大きく、慈愛が余るから、……痩ぎすで華奢なお桂ちゃんの片手では受切れない、両の掌に積んで、銀貨の小粒なのは指からざらざらと溢れたと・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・……お前さん、近所で聞くとね、これが何と……いかに業体とは申せ、いたし方もこれあるべきを、裸で、小判、……いえさ、銀貨を、何とか、いうかどで……営業おさし留めなんだって。…… 出がけの意気組が意気組だから、それなり皈るのも詰りません。隙・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・――掌に、銀貨が五六枚、キラキラと光ったのであった。「――お爺さん、何だろうね。」「…………」「私も、運転手も、現に見たんだが。」「さればなす……」 と、爺さんは、粉煙草を、三度ばかりに火皿の大きなのに撮み入れた。・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・「一昨年お祖父さんが家へきたときに、大きい銀貨一つずつもらったのをおぼえてるわ」「お父さん、お祖父さんどうして死んだの」「年をとったからだよ」「年をとるとお父さんだれでも死ぬのかい」「お父さん、お祖母さんもここにいるの」・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・そのはずみに、懐中の財布を落とすと、口が開いて、銀貨や、銅貨がみんなあたりにころがってしまったのでした。「あ、しまった!」と、按摩はあわてて両手で地面を探しはじめました。 指のさきは、寒さと、冷たさのために痛んで、石ころであるか、土・・・ 小川未明 「海からきた使い」
・・・よく見ると、それは、みんな星ではなく、金貨に、銀貨に、宝石や、宝物の中に自分はすわっているのである。もう、こんなうれしいことはない。 彼は、りっぱな家を持って、その家の主人となっていました。 あくる日、木の枝でからすがなきました。ち・・・ 小川未明 「北の国のはなし」
・・・乞食の子は、さっそくそばへきて、地面に落ちている小石を拾って、「おじいさん、銀貨が一つ落ちていた。」といって、手をさしだすと、じいさんはあわてて、金を取り返そうとした。乞食の子は手をひっこめた。するとじいさんは、ほんとうにこの子が銀貨を・・・ 小川未明 「つばめと乞食の子」
出典:青空文庫