・・・こちらが見てよくわかっているのにと思い、財布の銀貨を袂の中で出し悩みながら、彼はその無躾に腹が立った。 義兄は落ちついてしまって、まるで無感覚である。「へ、お火鉢」婦はこんなことをそわそわ言ってのけて、忙しそうに揉手をしながらまた眼・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・と親方は言いながら、財布から五十銭銀貨を三四枚取り出して「これで今夜は酒でも飲んで通夜をするのだ、あすは早くからおれも来て始末をしてやる。」 親方の行ったあとで今まで外に立っていた仲間の二人はともかく内へはいった。けれどもすわる所がない・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・といいつつ二十銭銀貨を手渡して立ち去った。「僕はその銀貨を費わないでまだ持っている」と正作はいって罪のない微笑をもらした。 彼はかく労働している間、その宿所は木賃宿、夜は神田の夜学校に行って、もっぱら数学を学んでいたのである。 ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・五十銭銀貨を一つ盗んでも禁固を喰う。償勤兵とならなければならない。それが内地に於ける軍人である。軍人は清廉潔白でなければならない。ところが、その約束が、ここでは解放されているのだ。兵士は、その××に引っかかって、ほしいものが得たさに勇敢に、・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・が、三つの銀貨は雪の中にちっとも手答えらしい音をさせなかった。 そして今夜で三回だ、龍介はフトそう思うと、何んのためにこう来るか、自分の底に動いているある気持を感じて、ゾッとした。女は外へは出ていなかった。が、足音を聞くとすぐ出てきた。・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・の内儀へお頼みでござりますと月始めに魚一尾がそれとなく報酬の花鳥使まいらせ候の韻を蹈んできっときっとの呼出状今方貸小袖を温習かけた奥の小座敷へ俊雄を引き入れまだ笑ったばかりの耳元へ旦那のお来臨と二十銭銀貨に忠義を売るお何どんの注進ちぇッと舌・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ こう言い乍ら、自分は十銭銀貨一つ取出して、それを男の前に置いて、「僕の家ばかりじゃない、何処の家へ行っても左様だろうと思うんだ。ただ呉れろと言われて快く出すものは無い。是から君が東京迄も行こうというのに、そんな方法で旅が出来るもの・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・その時、銀貨二つを風琴の上に載せた戻りがけに、私は次郎や三郎のほうを見て、半分串談の調子で、「天麩羅の立食なんか、ごめんだぜ。」「とうさん、そんな立食なんかするものか。そこは心得ているから安心しておいでよ。」と次郎は言った。 楽・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ その夜、歌舞伎座から、遁走して、まる一年ぶりのひさごやでお酒を呑みビールを呑みお酒を呑み、またビールを呑み、二十個ほどの五十銭銀貨を湯水の如くに消費した。三年まえに、ここではっきりと約束しました。ぼくは、出世をいたしました。よい子だか・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・メキシコの銀貨に穴をあけて赤い絹紐を通し、家族に於いて、その一週間もっとも功労のあったものに、之を贈呈するという案である。誰も、あまり欲しがらなかった。その勲章をもらったが最後、その一週間は、家に在るとき必ず胸に吊り下げていなければいけない・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
出典:青空文庫