・・・後の銃後と相俟って、旅順攻囲の終始が記録的に、しかも、自分一個の経験だけでなく、軍事的知識と見聞をかき集めて、戦線を全貌的に描き出そうと努めてある。しかも、多くを書いてあるのに、視野は広いとは云えないし、自由でもない。客観的な現実はそのまゝ・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・僕が悪かったよ。銃後の女性は皆、君のようにしっかりしていなければいけないね。」などと言ってほめてやりましたが、女中は、いかにも私を軽蔑し果てたというように、フンと言って、襟を掻き合せ、澄まして部屋から出て行きました。私は残ったお酒をぐいぐい・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・しばらくして、その兵隊さんの留守宅の奥さんからも、もったいない言葉の手紙が来る。銃後奉公。どうだ。これでも私はデカダンか。これでも私は、悪徳者か。どうだ。 しかし、私はそれを誰にも言えぬ。考えてみると、それは婦女子の為すべき奉公で、別段・・・ 太宰治 「鴎」
・・・卑屈になるばかりだ。銃後はややこしくて、むずかしいねえ。」「何を言ってやがる。君は、一ばん骨の折れるところから、のがれようとしているだけなんだ。千の主張よりも、一つの忍耐。」「いや、千の知識よりも、一つの行動。」「そうして君に出・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・兵営と前線生活では婦人のすることがすべて不幸な召集された男の手によってされていた。銃後では、家庭を破壊されたすべての哀れな女性が、軍の労働者に代って武器製造をした。これがどんな人間らしくない、不幸の図絵であったかということは今日すべての男女・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・ エプロン姿は幾旬日かの間に、良人にかわって一家の経営をひきついで行かなければならなくなった主婦たちの感情を反映するようになり、この多岐な一年の終りの近づいた今日では、女に要求されている銃後の力の内容は、明瞭に一家の経営の範囲を超えた。・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・現代の科学兵器で銃後というものはありません。この小さい海に囲まれた人口の多い日本が、万一超威力の近代戦にまき込まれたとしたら、どこによわい女、子供の安全な場所があるでしょう。 講和は私たちの生命の問題です。〔一九五〇年一月〕・・・ 宮本百合子 「講和問題について」
・・・今日の社会の事情は尋常を脱していて、女に求められている力も、女の資質一般ではなく、銃後の力としての女の力である。そして、それは千人針からはじまって、すでに特殊な生産部門に男と代って働く女の力、あるいは複雑な日本の経済条件の日々の負担者として・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」
・・・ 文学としてはこれらの問題を含みつつも、火野の文章が世上に伝えた波動の大きさは正に、銃後の心理を思わせるものがあった。 同じ時に、上田広の「鮑慶郷」という小説が発表された。火野の文章と対比的に世評に上ったが、前者が生々しい戦場の記録・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ すべてのアクティヴな作家は、前線に、また前線に近い銃後に赴いて、彼らの文学的記録・通信を送っていた。十数年前には、モスクワの細長い書斎で、日本から来た女を前におきながら、私は退屈してしまったわ、曲芸も見あきたし……というようなことをい・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
出典:青空文庫