・・・彼は二年間の貯蓄の三分の二を平気で擲って、錦絵を買い、反物を買い、母や弟や、親戚の女子供を喜ばすべく、欣々然として新橋を立出った。 翌年、三十一年にめでたく学校を卒業し、電気部の技手として横浜の会社に給料十二円で雇われた。 その後今・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・外のものは兎に角と致して日本一お江戸の名物と唐天竺まで名の響いた錦絵まで御差止めに成るなぞは、折角天下太平のお祝いを申しに出て来た鳳凰の頸をしめて毛をむしり取るようなものじゃ御座いますまいか。」 という一文がありました。これは、「散柳窓・・・ 太宰治 「三月三十日」
・・・ 壁を見ると日本の錦絵が沢山貼りつけてある。いずれも明治年代に出来た俗な絵草紙である。天井の隅には拡げた日傘が吊してある。棚や煖炉の上には粗製の漆器や九谷焼などが並べてある。中にはドイツ製の九谷まがいも交じっているようであった。 B・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・ 最後の場面でおつたが取り落とした錦絵の相撲取りを見て急に昔の茂兵衛のアイデンティティーを思い出すところは、あれでちょうど大衆向きではあろうが、どうも少しわざとらしい、もう一つ突っ込んだ心理的な分析をしてほしい。甦生した新しい茂兵衛が出・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ルツェルンには戦争と平和の博物館というのがあって、日露戦争の部には俗悪な錦絵がたくさん陳列してあったので少しいやになりました。至るところの谷や斜面には牧場が連なり、りんごが実って、美しい国だと思いました。 それからストラスブルクを見て、・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・それは絵はがきや錦絵の美しさではなくて、どうしても油絵の美しさである。…… 植物園では仏桑花、ベコニア、ダリア、カーネーション、それにつつじが満開であった。暑くて白シャツの胸板のうしろを汗の流れるのが気持ちが悪かった。両手を見るとまっか・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・しめやかなランプの光の下に、私は母と乳母とを相手に、暖い炬燵にあたりながら絵草紙錦絵を繰りひろげて遊ぶ。父は出入りの下役、淀井の老人を相手に奥の広間、引廻す六枚屏風の陰でパチリパチリ碁を打つ。折々は手を叩いて、銚子のつけようが悪いと怒鳴る。・・・ 永井荷風 「狐」
・・・の芸術的情趣は非常な奢侈贅沢に非ざれば決して日常生活中には味われぬもののように独断している人たちは、容易に首肯しないかも知れないが、便所によって下町風な女姿が一層の嬌艶を添え得る事は、何も豊国や国貞の錦絵ばかりには限らない。虚言と思うなら目・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・主人は喜んで新に買入れた古書錦絵の類を取出して示す。展覧に時刻を移したが、初夏の日は猶高く食時にもまだ大分間がある。さりとてこの人数袂をつらねて散歩に行くべき処もない。上野公園の森は目の前に見えているが無論行く気にはならない。兎に角一同自動・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・強いて何かの聯想を思い出させれば、やはり名所の雪を描いた古い錦絵か、然らずば、芝居の舞台で見る「吉野山」か「水滸伝」の如き場面であろう。けれども、それらの錦絵も芝居の書割も決して完全にこの珍らしい貴重なる東洋固有の風景を写しているとは思えな・・・ 永井荷風 「霊廟」
出典:青空文庫