・・・「この標準を用いずに、美とか真とか善とか言う他の標準を求めるのは最も滑稽な時代錯誤であります。諸君は赤らんだ麦藁帽のように旧時代を捨てなければなりません。善悪は好悪を超越しない、好悪は即ち善悪である、愛憎は即ち善悪である、――これは『半・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・曰く、「あらゆる行為の根底であり、あらゆる思索の方針である智識を有せざる彼等文芸家が、少しでも事を論じようとすると、観察の錯誤と、推理の矛盾と重畳百出するのであるが、これが原因を繹ねると、つまり二つに帰する。その一つは彼等が一時の状態を永久・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・その後追いおいに気づいていったことなのであるが、この美しい水音を聴いていると、その辺りの風景のなかに変な錯誤が感じられて来るのであった。香もなく花も貧しいのぎ蘭がそのところどころに生えているばかりで、杉の根方はどこも暗く湿っぽかった。そして・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・ 時代錯誤な議事堂の建物も、大方出来ていた。俺だちはその尖塔を窓から覗きあげた。頂きの近いところに、少し残っている足場が青い澄んだ冬の空に、輪郭をハッキリ見せていた。「君、あれが君たちの懐しの警視庁だぜ。」 と看守がニヤ/\笑っ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・おなじような論理の錯誤から実際の刑事事件について無実の罪が成立する恐れが万一ありはしないか。そんなことを考えさせられるのであった。 近ごろ、某大官が、十年前に、六百年昔の逆賊を弁護したことがあったために、現職を辞するのやむなきに立ち至っ・・・ 寺田寅彦 「ある探偵事件」
・・・ こういう認識不足の場合はいいが、認識錯誤の場合にはいろいろの難儀な結果が生じる。盗難や詐欺にかかった被害者の女師匠などが、加害者でもなんでもない赤の他人の立派なお役人を、どうでもそうだと言い張る場合などがそれである。 突発した事件・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・ついでにもう一歩を進めるならば、電車の切符について起り得る錯誤のあらゆる場合を調査しておくのもいいかと思う。不正な動機から起るものの外に、どれだけ色々の場合があるかを研究し列挙して車掌達の参考に教えておくのも悪くない。事柄が人の「顔」にかか・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ しかしまたこの事から、とんぼの止まっているときの体向は太陽の方位には無関係であるという結論を下したとしたら、それはまた第二の早合点という錯誤を犯すことになるであろう。この点を確かめるには、実験室内でできるだけ気流をならしておいて、その・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・驚くべき時代錯誤ではないかと思う。世界では奨励時代はとうの昔に過ぎ去ってしまっているのではないか。他国では科学がとうの昔に政治の肉となり血となって活動しているのに、日本では科学が温室の蘭かなんぞのように珍重され鑑賞されているのでは全く心細い・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 記憶の悪い自分のこの追憶の記録には、おそらく時代の錯誤や、事実の思い違いがいろいろあるであろうと思う。ただ自分の主観の世界における先生のおもかげを、自分としてはできるだけ忠実に書いてみたつもりであるが、学者として、作家として、また人間・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
出典:青空文庫