・・・も、その頃は一層この国の宗徒に、あらたかな御加護を加えられたらしい。長崎あたりの村々には、時々日の暮の光と一しょに、天使や聖徒の見舞う事があった。現にあのさん・じょあん・ばちすたさえ、一度などは浦上の宗徒みげる弥兵衛の水車小屋に、姿を現した・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・人と話しをしている時は勿論、独りでいる時でも、彼はそれを懐中から出して、鷹揚に口に啣えながら、長崎煙草か何かの匂いの高い煙りを、必ず悠々とくゆらせている。 勿論この得意な心もちは、煙管なり、それによって代表される百万石なりを、人に見せび・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・ 彼は捕手の役人に囲まれて、長崎の牢屋へ送られた時も、さらに悪びれる気色を示さなかった。いや、伝説によれば、愚物の吉助の顔が、その時はまるで天上の光に遍照されたかと思うほど、不思議な威厳に満ちていたと云う事であった。 ・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・現にわたしは三四年前にもやはりこう云う憂鬱に陥り、一時でも気を紛らせるためにはるばる長崎に旅行することにした。けれども長崎へ行って見ると、どの宿もわたしには気に入らなかった。のみならずやっと落ちついた宿も夜は大きい火取虫が何匹もひらひら舞い・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・通称丸山軽焼と呼んでるのは初めは長崎の丸山の名物であったのが後に京都の丸山に転じたので、軽焼もまた他の文明と同じく長崎から次第に東漸したらしい。尤も長崎から上方に来たのはかなり古い時代で、西鶴の作にも軽焼の名が見えるから天和貞享頃には最う上・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「長崎あたりに来ているロシア人は、ポケットに、もはや幾何しかの金がなくても、それを憂えずに、人生について論議している……」と、いうような話をきいたことがある。その時も、私は、感激を覚えたのです。 何となく私には、幽暗なロシア――・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・むろん断ったが、十八にもなってと嘲られたのがぐっと胸に来て登楼った。長崎県五島の親元へ出す妓の手紙を代筆してやりながら、いろいろ妓の身の上話を聞いた。話は結局こういう生活をどう思うかというところに落着いたが、妓が金に換算される一種の労働だと・・・ 織田作之助 「雨」
・・・そしてこれを信じていた長崎の哀れな人々は、八月二十日を待たずに死んで行ったではないか。 原子爆弾と前後してソ聯の参戦があった。その発表をきいた時、私は将棋を想いだした。高段者の将棋では王将が詰んでしまう見苦しいドタン場まで指していない。・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・それは火のついたようなあの赤児の泣声に似て、はっと固唾をのむばかりの真剣さだったから、登勢は一途にいじらしく、難を伏見の薩摩屋敷にのがれた坂本がやがてお良を娶って長崎へ下る時、あんたはんもしこの娘を不仕合せにおしやしたらあてが怖おっせと、つ・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行っ・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
出典:青空文庫