・・・「奈良漬、結構。……お弁当もこれが関でげすぜ、旦那。」 と、幇間が茶づけをすする音、さらさらさら。スウーと歯ぜせりをしながら、「天気は極上、大猟でげすぜ、旦那。」「首途に、くそ忌々しい事があるんだ。どうだかなあ。さらけ留めて・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 謙三郎は琵琶に命じて、お通の名をば呼ばしめしが、来るべき人のあらざるに、いつもの事とはいいながら、あすは戦地に赴く身の、再び見、再び聞き得べき声にあらねば、意を決したる首途にも、渠はそぞろに涙ぐみぬ。 時に椽側に跫音あり。女々しき・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・明直にいえば、それが、うぐい亭のお藻代が、白い手の幻影になる首途であった。 その夜、松の中を小提灯で送り出た、中京、名古屋の一客――畜生め色男――は、枝折戸口で別れるのに、恋々としてお藻代を強いて、東の新地――廓の待合、明保野という、す・・・ 泉鏡花 「古狢」
上田豊吉がその故郷を出たのは今よりおおよそ二十年ばかり前のことであった。 その時かれは二十二歳であったが、郷党みな彼が前途の成功を卜してその門出を祝した。『大いなる事業』ちょう言葉の宮の壮麗しき台を金色の霧の裡に描・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・渦まく淵を恐れず、暗礁おそれず、誰ひとり知らぬ朝、出帆、さらば、ふるさと、わかれの言葉、いいも終らずたちまち坐礁、不吉きわまる門出であった。新調のその船の名は、細胞文芸、井伏鱒二、林房雄、久野豊彦、崎山兄弟、舟橋聖一、藤田郁義、井上幸次郎、・・・ 太宰治 「喝采」
・・・私の人生への門出は、このように幸福でした。私はその大工さんのお宅にいつまでもいたいと思ったのです。けれども私は、その大工さんのお宅には、一晩しかいる事が出来ませんでした。その夜は大工さんはたいへん御機嫌がよろしくて、晩酌などやらかして、そう・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・いつ成るとも判らぬこのやくざな仕事の首途を祝い、君とふたりでつつましく乾杯しよう。仕事はそれからである。 私は生れてはじめて地べたに立ったときのことを思い出す。雨あがりの青空。雨あがりの黒土。梅の花。あれは、きっと裏庭である。女・・・ 太宰治 「玩具」
・・・ それほど輝かしい人生の門出の、第一夜に、鶴は早くも辱かしめられた。 彼が夕食をとりに寮の食堂へ、ひとあし踏みこむや、わっという寮生たちの異様な喚声を聞いた。彼等の食卓で「鶴」が話題にされていたにちがいないのである。彼はつつましげに・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・それは門出の時の泣き顔ではなく、どうした場合であったか忘れたが心からかわいいと思った時の美しい笑い顔だ。母親がお前もうお起きよ、学校が遅くなるよと揺り起こす。かれの頭はいつか子供の時代に飛び返っている。裏の入江の船の船頭が禿頭を夕日にてかて・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・による永い旅路の門出の場面などでも、こうした映画の中で見ていると、いつの間にか見ている自分が百年前のワルシャウの人になってしまう。そうして今までに読んだ物語や伝記の中の色々の類似の場面などが甦って眼前に活動するような気がする。そういう意味で・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
出典:青空文庫