・・・ やがてわが部屋の戸帳を開きて、エレーンは壁に釣る長き衣を取り出す。燭にすかせば燃ゆる真紅の色なり。室にはびこる夜を呑んで、一枚の衣に真昼の日影を集めたる如く鮮かである。エレーンは衣の領を右手につるして、暫らくは眩ゆきものと眺めたるが、・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・門の扉は左右に開き、喚声をあげて突撃して来る味方の兵士が、そこの隙間から遠く見えた。彼は閂を両手に握って、盲目滅法に振り廻した。そいつが支那人の身体に当り、頭や腕をヘシ折るのだった。「それ、あなた。すこし、乱暴あるネ。」 と叫びなが・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・少し開きかけたので力を緩めると、又元のように閉ってしまった。「オヤッ」と私は思った。誰か張番してるんだな。「オイ、俺だ。開けて呉れ」私は扉へ口をつけて小さい声で囁いた。けれども扉は開かれなかった。今度は力一杯押して見たが、ビクともし・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・然ばすなわち、いやしくも改進者流をもって自からおる者は、たとい官員にても平人にても、この政府の精神とともに方向をともにし、その改むるところを改め、その進むところに進み、次第に自家の境界を開きて前途に敵なく、ついには、かの守旧家の強きものをも・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
為事室。建築はアンピイル式。背景の右と左とに大いなる窓あり。真中に硝子の扉ありてバルコンに出づる口となりおる。バルコンよりは木の階段にて庭に降るるようなりおる。左には広き開き戸あり。右にも同じ戸ありて寝間に通じ、この分は緑の天鵞絨の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・曙覧、徳川時代の最後に出でて、始めて濶眼を開き、なるべく多くの新材料、新題目を取りて歌に入れたる達見は、趣味を千年の昔に求めてこれを目睫に失したる真淵、景樹を驚かすべく、進取の気ありて進み得ずししょしゅんじゅんとして姑息に陥りたる諸平、文雄・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ 私はまた眼を開きました。 いつの間にかすっかり夜になってそらはまるですきとおっていました。素敵に灼きをかけられてよく研かれた鋼鉄製の天の野原に銀河の水は音なく流れ、鋼玉の小砂利も光り岸の砂も一つぶずつ数えられたのです。 またそ・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・ 国際ペンクラブは第十三回大会をバルセロナに第十四回大会をブェノスアイレスに第十五回大会をパリで開き、ますますはっきり世界の文学者がファシズムに反対して、ヒューマニズムと平和と文化の守りのためにたたかおうとする意志を明らかにして来ていた・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・ところがその磚がひどくぞんざいに、疎に積んであって、十ばかりも卸してしまえば、窓が開きそうだ。小川君は磚を卸し始めた。その時物音がぴったりと息んだそうだ。」 小川は諦念めて飲んでいる。平山は次第に熱心に傾聴している。上さんは油断なく酒を・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・ 人に見られて、物思いに沈んでいることを悟られまいと思って、それから忍藻は手近にある古今集を取っていい加減なところを開き、それへ向って字をば読まずに、いよいよ胸の中に物思いの虫をやしなった。「『題知らず……躬恒……貫之……つかわしけ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫