・・・せっせと先生の所へ通信部を開く交渉に行く。開成社へ電話をかけてせっせとはがきを取寄せる。誰でも皆せっせとやる。何をやるのでもせっせとやる。その代わり埓のあくことおびただしい。窓から外を見ると運動場は、処々に水のひいた跡の、じくじくした赤土を・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・旧幕府の時開成所の教官となり、又外国奉行の通訳官となり、両度欧洲に渡航した。維新の後私塾を開いて生徒を教授し、後に東京学士会院会員に推挙せられ、ついで東京教育博物館長また東京図書館長に任ぜられ、明治十九年十二月三日享年六十三で歿した。秋坪は・・・ 永井荷風 「上野」
・・・近くその一例をあげていわんに、旧幕府のとき開成所を設けたれども、まったく官府の管轄を蒙り、官の私有に異ならざりしがゆえ、いったん幕府の瓦解にいたり捨ててかえりみる者なし。幸にして今日に及びようやく旧に復するの模様あれども、空しく二年の時日を・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ 慶応三年新彫、江戸開成所教授神田孝平訳の経済小学、明治元年版の山陽詩註、明治二十二年出版の細川潤次郎著考古日本等と云うものに混って、ふと面白いものが目についた。それは、東京書籍舘書目と云う一冊、飜刻智環啓蒙と云う何のことだか題では私な・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・ 父は東京に住んでいた家族にこのようにして書いていたばかりでなく、福島県の開成山に隠棲していた老母に、凡そこの二分の一ぐらいのエハガキだよりを送って居ます。当時は外国雑誌など珍らしかったので、老母のところには、父が写真説明を日本語で細か・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・俊ちゃんと云ったその子は、祖母のいた開成山で育っていた。下島のおじさんは明治のはじめ頃、大学の農科を出て大変ドイツ語がよく出来た。ドイツへの留学生を選抜するため農商務省でドイツ語の論文をかかせられ、一等になって、もう旅券が下りるというとき、・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・丁度五月頃、自分が開成山に行って居る時、Aは、独りで寂しいから、来られませんかと云ってあげたのだそうだ。自分は其を知らず、一ヵ月許りの独居から戻って来た。Aは、直ぐ先方に断りを出した。切角決心をし、どんな鞄を持って行こうなどとさえ相談を始め・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・兼てこの村が附近の開発の中心地となって村役場も出来、大神宮も建てられ、そのあたり一帯は開成山とも名づけられた。 この開成山の村役場というのが、そんな東北の開墾村の役場にふさわしくないような三階建てで、屋根はコバ葺きながらなだらかな反りを・・・ 宮本百合子 「村の三代」
・・・ 二人の祖母たちは、それぞれ祖父とともに波瀾の多い維新から明治への生活のうつり変りを経験したのであるが、父かたの祖父は米沢藩で、後には役人をして晩年福島県の開成山で終った。地位としては大した役人ではなかった様子であるが、この中條政恒とい・・・ 宮本百合子 「明治のランプ」
出典:青空文庫