・・・「音に聴く大阪の闇市風景」などという注文に応じてはみたものの、いそいそと筆を取る気になれないのである。 ――と、こんな風にまえがきしなければ、近頃は文章が書けなくなってしまった。読者も憂鬱だろうが、私も憂鬱である。書かれる大阪も憂鬱・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・「みすみす反古とは、変なものだね。闇市で証紙を売っていたということだが、まさかこんな風に出て来た紙幣に貼るわけでもないだろう」 そう言うと、彼は急に眼を輝した。「へえ……? 証紙を売ってるって? 闇市で、そうか。たしかに売ってる・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・「……壕舎ばかりの隣組が七軒、一軒当り二千円宛出し合うて牛を一頭……いやなに密殺して闇市へ売却するが肚でがしてね。ところが買って来たものの、屠殺の方法が判らんちゅう訳で、首の静脈を切れちゅう者もあれば眉間を棍棒で撲るとええちゅう訳で、夜・・・ 織田作之助 「世相」
・・・そんな宿屋を探すくらいなら、闇市の煙草を探したいのだ。再び会えない女とよりも、百本の煙草と共に夜を過したいのである。別れぎわの女は暗がりを歩きたがる。そして急に立ち停る。女が何を要求しているか私には判るのだが、しかし私は肩にすら触れない。・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・ 阿倍野の闇市のバラックに、一、二軒おそくまで灯りをつけている店があった。 立ち寄って、暖いものでも食べたかったが、やはり裸の上にレインコートだけ、おまけにはだしだという娘の服装が憚られた。 しかし、灯りの見えたことは嬉しかった・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ かれはもう、絶望しかけて、夕暮の新宿駅裏の闇市をすこぶる憂鬱な顔をして歩いていた。彼のいわゆる愛人たちのところを訪問してみる気も起らぬ。思い出すさえ、ぞっとする。別れなければならぬ。「田島さん!」 出し抜けに背後から呼ばれて、・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・メーデーであるきょうも、行進とともにすすむ歌声をよそに家庭の婦人は、小さい子供たちの手をひき背中に赤ちゃんをおんぶして、汗ばむようになったのにさっぱりした袷もないと思いながら、闇市で晩のお惣菜をあさらなければなりません。メーデーは、外で働い・・・ 宮本百合子 「メーデーと婦人の生活」
出典:青空文庫