・・・そこで、当番御目付土屋長太郎、橋本阿波守は勿論、大目付河野豊前守も立ち合って、一まず手負いを、焚火の間へ舁ぎこんだ。そうしてそのまわりを小屏風で囲んで、五人の御坊主を附き添わせた上に、大広間詰の諸大名が、代る代る来て介抱した。中でも松平兵部・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・それでは阿波の鳴門の渦に巻込まれて底へ底へと沈むようなもんで、頭の疲れや苦痛に堪え切れなくなったので、最後に盲亀の浮木のように取捉まえたのが即ちヒューマニチーであった。が、根柢に構わってるのが懐疑だから、動やともするとヒューマニチーはグラグ・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・そして、人形が口を利いたのを見るのははじめてだと不思議がるまえにまず自分の不運を何か諦めて、ひたすら謝ると、はたして五十吉は声をはげまして、この人形はさる大名の命でとくに阿波の人形師につくらせたものだ。それを女風情の眼でけがされたとあっては・・・ 織田作之助 「螢」
・・・「阿波十郎兵衛など見せて我子泣かすも益なからん」源叔父は真顔にていう。「我子とは誰ぞ」老婦は素知らぬ顔にて問いつ、「幸助殿はかしこにて溺れしと聞きしに」振り向いて妙見の山影黒きあたりを指しぬ、人々皆かなたを見たり。「我子とは・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・がらにかかれているところであるが、瀬戸内海のうちの同じ島でも、私の村はそのうちの更に内海と称せられる湖水のような湾のなかにあるので、そこから丘を一つ越えてここへ来るとやや広々とした海と、その向うの讃岐阿波の連山へ見晴しがきいて、又ちがった趣・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・ ところが政元は病気を時したので、この前の病気の時、政元一家の内うちうちの人だけで相談して、阿波の守護細川慈雲院の孫、細川讃岐守之勝の子息が器量骨柄も宜しいというので、摂州の守護代薬師寺与一を使者にして養子にする契約をしたのであった。・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・寝床で母からよく聞かされた阿波の鳴門の十郎兵衛の娘の哀話も忘れ難いものの一つであった。 重兵衛さんのお伽噺のレペルトワルはそう沢山にはなかったようである。北山の法経堂に現れる怪火の話とか、荒倉山の狸が三つ目入道に化けたのを武士が退治した・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・小栗判官、頼光の大江山鬼退治、阿波の鳴戸、三荘太夫の鋸引き、そういったようなものの陰惨にグロテスクな映画がおびえた空想の闇に浮き上がり、しゃがれ声をふりしぼるからくり師の歌がカンテラのすすとともに乱れ合っていたころの話である。そうして東京み・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・ このほか名高い瀬戸や普通の人の知らぬ瀬戸で潮流の早いところは沢山ありますが、しかし、何といっても阿波と淡路の間の鳴門が一番著しいものでしょう。この海峡は幅がわずか十五町くらいで、しかもその内に浅瀬の部分があるので深いところは幅五町くら・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・または海上より見た河口。阿波国名もあるいは同じか。五百蔵 「イウォロ」山。斗賀野 「ツク」上方に拡がる「ヌ平原丘。四万十川 「シ」甚だ。「マムタ」美しき。布師田 北海道に「ヌノユシ」の地名がある。蓬野の義である。伊尾木 ・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
出典:青空文庫