・・・カチリと電燈を捻じる響と共に、黄い光が唐紙の隙間にさす。先生はのそのそ置炬燵から次の間へ這出して有合う長煙管で二、三服煙草を吸いつつ、余念もなくお妾の化粧する様子を眺めた。先生は女が髪を直す時の千姿万態をば、そのあらゆる場合を通じて尽くこれ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・手も足も冷え尽したる後、ありとある美しき衣にわれを着飾り給え。隙間なく黒き布しき詰めたる小船の中にわれを載せ給え。山に野に白き薔薇、白き百合を採り尽して舟に投げ入れ給え。――舟は流し給え」 かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開く期・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・門の扉は左右に開き、喚声をあげて突撃して来る味方の兵士が、そこの隙間から遠く見えた。彼は閂を両手に握って、盲目滅法に振り廻した。そいつが支那人の身体に当り、頭や腕をヘシ折るのだった。「それ、あなた。すこし、乱暴あるネ。」 と叫びなが・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・そうすると杉の枝が天を蔽うて居るので、月の光は点のように外に漏れぬから、暗い道ではあるが、忽ち杉の木の隙間があって畳一枚ほど明るく照って居る。こんな考から「ところどころ月漏る杉の小道かな」とやったが、余り平凡なのに自ら驚いて、三たび森沿い小・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・嘉十はすすきの隙間から、息をこらしてのぞきました。 太陽が、ちょうど一本のはんのきの頂にかかっていましたので、その梢はあやしく青くひかり、まるで鹿の群を見おろしてじっと立っている青いいきもののようにおもわれました。すすきの穂も、一本ずつ・・・ 宮沢賢治 「鹿踊りのはじまり」
・・・彼女の質問のしぶりには、彼女が混んだ電車に乗り合わせた時、ほんの三寸の隙間をも見つけて、そこへ小さからぬ尻から割り込んで掛けずに置かない性質が微妙に閃いているのであった。ばあやさんよ。私は、そして、そのような性質は余りすきではないのだ。・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・ 朝起きて、庭の方へ築き出してある小さいヴェランダへ出て見ると、庭には一面に、大きい黄いろい梧桐の葉と、小さい赤い山もみじの葉とが散らばって、ヴェランダから庭へ降りる石段の上まで、殆ど隙間もなく彩っている。石垣に沿うて、露に濡れた、老緑・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・竹藪に伏勢を張ッている村雀はあらたに軍議を開き初め、閨の隙間から斫り込んで来る暁の光は次第にあたりの闇を追い退け、遠山の角には茜の幕がわたり、遠近の渓間からは朝雲の狼煙が立ち昇る。「夜ははやあけたよ。忍藻はとくに起きつろうに、まだ声をも出だ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・が、一疋の空腹な雀は、小屋の前に降りると小刻みに霜を蹴りつつ、垂れ下った筵戸の隙間から小屋の中へ這入っていった。 中では、安次が蒲団から紫色の斑紋を浮かばせた怒った肩をそり出したまま、左右に延ばした両手の指を、縊られた鶴の爪のように鋭く・・・ 横光利一 「南北」
・・・……力の充実……隙間のない活動。――一人の少年が両手を高くあげて波のなかに躍り込んで行く。首だけ出して、波にさらわれた板切れに追いすがる。やがて板切れを抱いて水を跳ね飛ばしながら駛け上がって来る。――生が踊り跳ねている。生が自然と戦いそれを・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫