・・・しかし、文壇にしても相当怪しい会話を平気で書いている作家が多く、そのエスプリのなさは筆蹟と同じで、どうにもなおし難いものかも知れない。 文壇で、女の会話の上品さを表現させたら、志賀直哉氏の右に出るものがない。が、太宰治氏に教えられたこと・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・「電車のなかでは顔が見難いが往来からだとかすれちがうときだとかは、かなり長い間見ていられるものだね」と云いました。なにげなく友の云った言葉に、私は前の日に無感覚だったことを美しい実感で思い直しました。五 これはあなたにこ・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・「その夜、門口まで送り、母なる人が一寸と上って茶を飲めと勧めたを辞し自宅へと帰路に就きましたが、或難い謎をかけられ、それを解くと自分の運命の悲痛が悉く了解りでもするといったような心持がして、決して比喩じゃアない、確にそういう心持がして、・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ ハルトマンはこれらのものから自由を証明できないが、不自由は一層証明し難い、というのみである。 詮ずるところ、われわれは決定論によっても、非決定論によっても、自由の満足なる説明を今のところ見出し得ない。この倫理学上の根本問題は謎とし・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・それは昭和十一年建てられた当時、墨の色もはっきりと読取られたものであるが、軟かい石の性質のためか僅か五年の間に墨は風雨に洗い落され、碑石は風化して左肩からはすかいに亀裂がいり、刻みこまれた字は読み難いほど石がところどころ削げ落ちている。自分・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・席上鋳金に美術を求める、そんな分らない校長ではないと思っていたが、校長には校長の考えもあろうし、鋳金はたとい蝋型にせよ純粋美術とは云い難いが、また校長には把掖誘導啓発抜擢、あらゆる恩を受けているので、実はイヤだナアと思ったけれども枉げて従っ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・己が満足を感じ、幸福を感じて死にたいものと思う、而して其生に於ても、死に於ても、自己の分相応の善良な感化・影響を社会に与えて置きたいものだと思う、是れ大小の差こそあれ、其人々の心がけ次第で、決して為し難いことではないのである。 不幸短命・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・世はさびしく、時は難い。明日は、明日はと待ち暮らしてみても、いつまで待ってもそんな明日がやって来そうもない、眼前に見る事柄から起こって来る多くの失望と幻滅の感じとは、いつでも私の心を子供に向けさせた。 そうは言っても、私が自分のすぐそば・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・三島には、その他にも数々の忘れ難い思い出があるのですけれども、それは又、あらためて申しましょう。そのとき三島で書いた「ロマネスク」という小説が、二三の人にほめられて、私は自信の無いままに今まで何やら下手な小説を書き続けなければならない運命に・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・さびしい悲しい夕暮れは譬え難い一種の影の力をもって迫ってきた。 高粱の絶えたところに来た。忽然、かれはその前に驚くべき長大なる自己の影を見た。肩の銃の影は遠い野の草の上にあった。かれは急に深い悲哀に打たれた。 草叢には虫の声がする。・・・ 田山花袋 「一兵卒」
出典:青空文庫