・・・ 下人は、頸をちぢめながら、山吹の汗袗に重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患のない、人目にかかる惧のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・かく荒れ果てたる小堂の雨風をだに防ぎかねて、彩色も云々。 甲冑堂の婦人像のあわれに絵の具のあせたるが、遥けき大空の雲に映りて、虹より鮮明に、優しく読むものの目に映りて、その人あたかも活けるがごとし。われらこの烈しき大都会の色彩を視む・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ その日の夜から、ひどい雨風になりました。二日二晩、暖かな風が吹いて、雨が降りつづいたので、雪はおおかた消えてしまいました。その雨風の後は、いい天気になりました。 春が、とうとうやってきたのです。さびしい、北の国に、春がやってきまし・・・ 小川未明 「大きなかに」
・・・明方物凄い雨風の音のなかにけたたましい鉄工所の非常汽笛が鳴り響いた。そのときの悲壮な気持を僕は今もよく覚えている。家は騒ぎ出した。人が飛んで来た。港の入口の暗礁へ一隻の駆逐艦が打つかって沈んでしまったのだ。鉄工所の人は小さなランチヘ波の凌ぎ・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・もるるは拝殿階段の辺りのみ、物すごき木の下闇を潜りて吉次は階段の下に進み、うやうやしく額づきて祈る意に誠をこめ、まず今日が日までの息災を謝し奉り、これよりは知らぬ国に渡りて軍の巷危うきを犯し、露に伏し雨風に打たるる身の上を守りたまえと祈念し・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・戸外の雨風の響きは少しも衰えない。秋山は起き直って、『それから。』『もうよそう、あまりふけるから。まだいくらもある。北海道歌志内の鉱夫、大連湾頭の青年漁夫、番匠川の瘤ある舟子など僕が一々この原稿にあるだけを詳しく話すなら夜が明けてし・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・源氏物語と私たちとの間に介在する幾百年の雨風を思い、そうしてその霜や苔に被われた源氏物語と、二十世紀の私たちとの共鳴を発見して、ありがたくなって来るのであろう。いまどき源氏物語を書いたところで、誰もほめない。 日本の古典から盗んだこ・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・もうだいぶ長く雨風にさらされて白くされ古びとげとげしく木理を現わしているのであるが、その柱の一面に年月日と名字とが刻してある。これは数年前京都大学の地球物理学者たちがここにエアトヴァスの重力偏差計をすえ付けて観測した地点を示す標柱だそうであ・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・ひどい雨風の晩で磯打つ波の音が枕に響いて恐ろしかったのが九歳の幼な心にも忘れ難く深い印象をとどめた。それから熱海へ来て大湯の前の宿屋で四、五日滞在した後に、山駕籠を連ねて三島へ越えた。熱海滞在中漁船に乗って魚見崎の辺で魚を釣っていたら大きな・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・一体これは全くただの雨風であろうか? 自分というとりこめられた一つの生きものに向って、何か企み、喚めき、ざわめき立った竹類が、この竹藪を出ぬ間に、出ぬ間に! と犇めき迫って来るような凄さを経験するに違いない。 空が荒模様になり、不機嫌な・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
出典:青空文庫