・・・障子は風がもり、畳は毛立っている。霜柱にあれた庭を飾るものは子供の襁褓くらいなものだ。この頃の僕は何だかだんだんに変って来る。美しい物の影が次第に心から消えて行く。金がほしくなる。かつて二階から見下ろしたジュセッポにいつの間にか似てくるよう・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・ら、結果はきわめて有害でありそうにも思われるであろうが、事実は全くその反対で、一、二巻のフィルムを見ているうちに、今まで頭の中に固定観念のようにへばりついていた不思議なかたまりがいつのまにか朝日の前の霜柱のようにとけて流れて消えてしまう。休・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・昼頃近くになっても霜柱の消えないような玄関の前に立って呼鈴を鳴らしてもなかなかすぐには反応がなくて立往生をしていると、凜冽たる朔風は門内の凍てた鋪石の面を吹いて安物の外套を穿つのである。やっと通されると応接間というのがまた大概きまって家中で・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・その想像の画面に現われた四方太の住み家の玄関の前には一面に白い霜柱が立っている。きれいに片付いた六畳ぐらいの居間の小さな火鉢の前に寒そうな顔色をして端然と正座しているのである。 文章会で四方太氏が自分の文章を読み上げる少しさびのある音声・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・ 庭の日かげはまだ霜柱に閉じられて、隣の栗の木のこずえには灰色の寒い風が揺れているのに南の沖のかなたからはもう桃色の春の雲がこっそり頭を出してのぞいているのであった。 こんな事を始めて気づいて驚いている私の鼻の先に突き出た楓の小枝の・・・ 寺田寅彦 「春六題」
・・・がなく「五月雨」がなく「しぐれ」がなく、「柿紅葉」がなく「霜柱」もない。しかし大陸と大洋との気象活動中心の境界線にまたがる日本では、どうかすると一日の中に夏と冬とがひっくり返るようなことさえある。その上に大地震があり大火事がある。無常迅速は・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・翌朝出入の鳶の者や、大工の棟梁、警察署からの出張員が来て、父が居間の縁側づたいに土足の跡を検査して行くと、丁度冬の最中、庭一面の霜柱を踏み砕いた足痕で、盗賊は古井戸の後の黒板塀から邸内に忍入ったものと判明した。古井戸の前には見るから汚らしい・・・ 永井荷風 「狐」
・・・母は霜柱の昼過までも解けない寂しい冬の庭に、折々山鳩がたった一羽どこからともなく飛んで来るのを見ると、あの鳩が来たからまた雪が降るでしょうと言われた。果して雪がふったか、どうであったか、もう能くは覚えていないが、その後も冬になると折々山鳩の・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・ ところが、ある霜柱のたったつめたい朝でした。 みんなは、今年も野原を起して、畠をひろげていましたので、その朝も仕事に出ようとして農具をさがしますと、どこの家にも山刀も三本鍬も唐鍬も一つもありませんでした。 みんなは一生懸命そこ・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・庭にあんまり霜柱が立って八つ手や青木がしもげているのにおどろいた。うちの水道はこの頃殆ど毎日凍っている由。 うちが急に寒い。「わが家だからスウィートなんだろうけれど、こう寒くちゃアイスクリームだね」と笑う。笑いながら、心はなかなか激しく・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
出典:青空文庫