・・・が、修理の逆上は、少しも鎮まるけはいがない。寧ろ、諫めれば諫めるほど、焦れれば焦れるほど、眼に見えて、進んで来る。現に一度などは、危く林右衛門を手討ちにさえ、しようとした。「主を主とも思わぬ奴じゃ。本家の手前さえなくば、切ってすてようものを・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・あれが、かあかあ鳴いて一しきりして静まるとその姿の見えなくなるのは、大方その翼で、日の光をかくしてしまうのでしょう。大きな翼だ、まことに大い翼だ、けれどもそれではない。 十二 日が暮れかかると、あっちに一ならび、・・・ 泉鏡花 「化鳥」
・・・ あとで考えれば、それは薄菊石の顔に見覚えのある有馬という士の声らしく、乱暴者を壁に押えつけながら、この男さえ殺せば騒ぎは鎮まると、おいごと刺せ、自分の背中から二人を突き刺せ、と叫んだこの世の最後の声だったのだ。 勢いっぱいに張り上・・・ 織田作之助 「螢」
・・・鏡を見て或る場合心の激動の静まるときもあります。――両親、兄、O及びもう一人の友人がその時に手を焼いた連中です。そして家では今でもその娘の名を私の前では云わないのです。その名前を私は極くごく略した字で紙片の端などへ書いて見たことがありました・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・それが鎮まると堯はまた歩き出した。 何が彼を駆るのか。それは遠い地平へ落ちて行く太陽の姿だった。 彼の一日は低地を距てた灰色の洋風の木造家屋に、どの日もどの日も消えてゆく冬の日に、もう堪えきることができなくなった。窓の外の風景が次第・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・沼の面が鏡のように静まる。 いずこともなくニンフとパンの群が出て来る。眩しいような真昼の光の下に相角逐し、駈けり狂うて汀をめぐる。汀の草が踏みしだかれて時々水のしぶきが立つ。やがて狂い疲れて樹蔭や草原に眠ってしまう。草原に花をたずねて迷・・・ 寺田寅彦 「ある幻想曲の序」
・・・その笑声が大抵三声ずつ約二、三秒の週期で繰返されて、それでぱったり静まるのである。こうした場合に人間の笑うのにはただ一と声笑っただけではどうにも収まらないものらしく、それかと云って十声とつづけて笑うことは出来ないものらしい。 毎日カ・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・ そうは言うものの、やはり初めの仮説に基づいてもう一ぺん考え直してみると、異常な興奮に駆られ家を飛び出した男が、夜風に吹かれて少し気が静まると同時に、自分の身すぼらしい風体に気がついておのずから人目を避けるような心持ちになり、また一方で・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・暫らくは鳴りも静まる。 日は暮れ果てて黒き夜の一寸の隙間なく人馬を蔽う中に、砕くる波の音が忽ち高く聞える。忽ち聞えるは始めて海の鳴るにあらず、吾が鳴りの暫らく已んで空しき心の迎えたるに過ぎぬ。この浪の音は何里の沖に萌してこの磯の遠きに崩・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 夜になって、四隣が静まると、母は帯を締め直して、鮫鞘の短刀を帯の間へ差して、子供を細帯で背中へ背負って、そっと潜りから出て行く。母はいつでも草履を穿いていた。子供はこの草履の音を聞きながら母の背中で寝てしまう事もあった。 土塀の続・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
出典:青空文庫